Reviving! ハエトリグサ in my small garden [観察]

去年(2012年)の夏、僕は祖父(僕の父の父)にハエトリグサという食虫植物を買ってもらい、育てることにしました。ですが、去年も夏は暑かったために、3階に置いておいたら暑さで萎れてしまいました。もう諦めるしかありませんでした。
しかし、今年(2013年)の夏、その植木鉢を見てみると、復活していました。言ってしまえば、去年よりも一層大きく育っているようにも見えました。
ハエトリグサ1.jpg
僕は植物の生命力は馬鹿にできないということを実感しました。とある部分には小さな虫まで入っていました。
このまま、来年も再来年も育ってほしいです。
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本を読んだ感想21 [感想]

僕は今回、夏休みの宿題ということで、2冊の本を読みました。まとめて書かせていただきます。夏休みの宿題で原稿用紙に書いた読書感想文の内容をそのまま書きます(一部改)。

きみの友だち (新潮文庫)

きみの友だち (新潮文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/06/30
  • メディア: 文庫


〔感想〕
この物語の主人公は各編毎に「きみ」となっており、編毎に「きみ」の性格や事情が異なります。色々な人たちの視点から物事を見つめ、その人自身になったつもりで物語を読むことができました。
この本の中でいじめにあった子は「いじめの一番怖いところは何か」という質問に対して、「性格を変えられるところだ」と答えています。僕はその通りだと思いました。例えば、今まで社交的だった子がいじめを受けて内気な性格になったら、それは性格の変化といえるでしょう。実際、僕の通う学校でもいじめがあったという話を夏休み前に聞いたときには、いじめたりいじめられたりしていない僕でも心が痛みました。これからはいじめがゼロになってくれればと思います。
また、この本の中には言葉についての比喩的表現が出てきて、心に留まりました。その表現は「言葉はバンソウコウ」、「言葉はナイフ」の二つです。「言葉はナイフ」は、皆が一人に心の傷を負わせるということだと私は思いました。心の傷というのは、皮膚の傷などと違い、治すにも治し切れないものだと思いました。「言葉はバンソウコウ」というのは、その痛々しい言葉を言われた人を励ますように、一言でも良いから何か言ってあげることだと思います。その一言がその人の将来を救うかもしれないと思います。
この本の最後の編では、この物語に登場した人たちがほぼ皆登場します。もう皆成長して同窓会といった感じでした。僕はこの物語のこれより前の編でけんかをしたというか、少し気まずい関係になっていたブンと三好が同窓会にて普通に話していたことに驚きました。やはり子供の頃のけんかなどは大人になればもう関係がなくなるのかと思いました。僕も大人になったら学校の友達とどういう関係になっているのかと考えてみようと思います。
僕はこの「きみの友だち」を読んで、人間の思いやり、優しさなどの大切さを再び確かめさせられたと思います。そして自分は学校でどう友達と接しているかと見直してみました。今六組ではいじめはなさそうだが、もし自分以外の人がいじめられていたらどうするか、また、自分がいじめられたらどうするかと考えてみました。自分以外の人がいじめられていたら、やはり黙って見ているよりは自分が先生に言いに行くなどの対処をとってえも良いと思いました。自分の場合にも先生に相談することが大事だと思いました。この本はそんな友達との接し方や友達が困っていたらどうするかなどについて色々と僕に教えてくれました。現代社会では思いやり、やさしさが欠けているといわれています。おそらく、今もどこかでいじめを受けている人、そしていじめをしている人がいます。いじめている人は軽い気持ちでやっているのかもしれないですが、いじめられている人はやはり嫌なのです。そのいじめられている人は、誰かからの一言、つまりバンソウコウを求めているはずです。だから僕はたった一言でも勇気を出して優しい言葉をかけてあげようと思います。


日本の深海 (ブルーバックス)

日本の深海 (ブルーバックス)

  • 作者: 瀧澤 美奈子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/07/19
  • メディア: 新書


〔感想〕
僕はこの本を読み、生物学的なことや地学的なことなど多くのことを学びました。印象に残ったのは深海の資源、生物、さらには東日本大震災と深海の関係についてなどです。
僕はこの本から深海にたくさんの資源が埋まっていることを知り、とても驚きました。なぜなら、日本では石油などの化石燃料は秋田県などのごく一部でしか採れないことを知っていたからです。僕は陸上には資源は少ないが、海底にはたくさん眠っているんだなと思いました。
僕の最も興味がわいたのは深海の生物についてです。深海の生物は発光したりして、自分なりの工夫をして生活していることを知りました。特に関心があったのはダイオウイカとマッコウクジラの関係についてです。マッコウクジラによく吸盤のような跡がついているという話を、これまでにもテレビで聞いたことがありました。その理由がマッコウクジラがダイオウイカをエサとしているからだと読んだとき、僕は初めて納得した。そして、生物はそれぞれ必死に生きているのだと思いました。
最後に東日本大震災と深海の関係についてです。僕が驚いたのは震災発生後、震源の辺りの海底に幅一メートル、深さ一メートル程の亀裂が入っていたということです。僕はこれについて読んだとき、「地球は生きている」ということを改めて実感しました。
また深海とは関係ないが、本には堤防についての話が書かれていました。海が見えるように堤防を低くするか、それとも津波を防ぐために堤防を高くするかということです。僕は海が見えることに賛成します。なぜなら、全ての生物は海から生まれて、また、海は生物の母だからです。生物は皆、海から生まれたと思うと、僕は生命の神秘を感じます。
僕はこの本を読んで、生物、地球などについて見直すことができました。これからは自分は地球が生まれ、さらにそこで生まれた奇跡の存在だということを考えながら生きていこうと思います。
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映画「少年H」 "Going To The Movie" [見る]

僕は2013年8月17日に父母と、とあるAEONで9時40分から「少年H」という映画を見ました。ちょうど今年も8月15日に終戦記念日を迎えたので、ちょうど良いタイミングだったと思います。
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こちらは、太平洋戦争あたりの時代の物語で、主人公は妹尾ハジメです。妹尾ハジメの父は洋服店を営んでおり、妹尾一家4人(父母、ハジメ、妹)はキリスト教で、よく教会で賛美歌を聴いています。なぜ、少年Hかというと、「ハジメ」のイニシャルが「H」だからです。最初は神戸は空襲を受けないと思っていましたが、結局空襲により、町は焼け野原と化します。そして家を失った人々は仮の家に住みます。
そして、戦争が終わり、社会は民主的な考えに変化します。そんなとき、妹尾家の家、物はすべて焼けてしまったため、また「0(ゼロ)」からやり直すというストーリーです。
僕のような戦争世代でない人が、戦争の惨憺たる光景を目にすれば、誰でも言葉を失うと思います。僕もそうでした。戦争中の非国民への拷問、差別がとても心に残りました。これはとても考えさせられる映画でした。

少年H(上) (講談社文庫)

少年H(上) (講談社文庫)

  • 作者: 妹尾 河童
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/06/09
  • メディア: 文庫



少年H(下) (講談社文庫)

少年H(下) (講談社文庫)

  • 作者: 妹尾 河童
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/06/15
  • メディア: 文庫


上の画像は少年Hの文庫版の上下です。映画で見なくても本で読んでみてはいかがですか。僕が断言するに、戦争をやっても何も得るものはなく、むしろ失ってしまいますが、この物語を見る、または読めば、何かを得られると思います! 少なくとも失うものは絶対に何もありません。戦争という無意味ながらに多くの人々を犠牲にしてしまったものを物語に描くことで、後世の人々に伝えられれば、1945年の太平洋戦争終戦のことも日本は何年経っても忘れないと思います。
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夏休み! いざ秋田県へ! in 2013 [行く]

僕は2013年8月3日~10日までの約1週間、父母と秋田県の祖母の家へ行きました(祖父は今年の4月に亡くなったため「祖母の家」としておきます)。車で行きました。行くときは、蔵王で一泊して行きました。蔵王ではお釜を見に行きました。

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実は上の画像は僕が撮影したものではありません。3日にお釜を見に行ったときは、天気があまり良くなかったため、お釜が雲で見えるか見えないかという感じでした。少し残念でした。お釜に行く前にコマクサを見ました。
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僕にはこのとき思いました。「なんだか夏に高地へ来ると『ギー』という音がするな~。この音は虫かな、蝉かな?」 それで、僕は自宅へ戻ってから検索してみました。そうしたら、その音の主はエゾゼミだそうです。やはり蝉でした。エゾゼミは「蝦夷(北海道)」というくらいですから、高地のような寒いところに生息するそうです。鳴き声だけ文字で表されてもよく分からないと思うので動画を載せます。虫が苦手な方は見ないで下へ進んでください。

↑映像に出ている蝉がエゾゼミです。

話を戻します。
旅館の夕食はすき焼きでした。旅館ではこのエゾゼミの鳴き声のほかにヒグラシの鳴き声も聞こえました。ヒグラシも蝉です。明け方、夕方に鳴くため、漢字では「日暮」とも書くそうです。よく映画やドラマでも聞こえてきます。夏の終わりというのを感じます。この蝉の鳴き声の動画も参考までに載せて置きます。

↑映像に出ている蝉がヒグラシです。

本当に話を戻します。
旅館で泊まった後、秋田県へ日本海側を通って向かいました。途中、道の駅でメロンを買って行きました。そして秋田県の能代市のとある町の祖母の家へ向かいました。実はこの4日は、大型シャチ灯籠の祭りがありました。聞いてもよく分からないと思いますので、百聞は一見に如かずということで写真をどうぞ!
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写真の一番左のシャチ灯籠の祭りが例年行われています。これはいつも6、7日に行われます。それは後ほど。この真ん中の背の高いシャチ灯籠は今年より始まったものです。皆様お気付きかも知れませんが、この道には電線がありません。これは一番左のシャチ灯籠のいわゆる原点であり、今年、この背が高くて電線があるとぶつかってしまう明治時代頃の元祖大型シャチ灯籠を復元したことの証なのです。3、4日の2日間で行われましたが、僕は4日のみ見ました。高さは17mと随分高いのです。左の現代のシャチ灯籠と比べると2倍以上あります。この大型シャチ灯籠は「天空の不夜城」とも呼ばれています。このシャチ灯籠は市民を楽しませてくれました。来年もこれは行われる予定なので、期待したいと思います。
5日は何もありませんでした。確か、祖母を父が車に乗せて僕も一緒にお世話になった方にお礼の品を渡しに行ったような気がします。あまりイベントのない日でした。
6日はまず、4月に亡くなった祖父の納骨が行われました。お坊さんにお経を読んでもらった後、祖父は土に帰りました。
そして例年通り、能代役七夕が行われました。
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夕方頃から祭り参加者はこのシャチ灯籠を引っ張って町を練り歩き、9時頃まで祭りは続きました。シャチ灯籠は練り歩く間、明るい囃子に包まれていました。夜になるとシャチ灯籠は一層綺麗さを増します。写真は解散直前の写真です。2台のシャチ灯籠が並び、とても美しかったです。今年は2回も家の前を通ってくれたので、よく堪能できました。
7日はまず、父と秋田駒ヶ岳に行きました。朝4時頃車で家を出て、2時間30分くらいで到着しました。駐車場からシャトルバスで8合目(標高1305m)まで行き、登り始めました。

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まず、男岳(標高1623m)へ登り、次に男女岳(標高1637m)、最後に横岳(標高1583m)に登って下山しました。女岳(標高1512m)という山もありましたが、登りませんでした。横岳に登る途中もコマクサが咲いていました。
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↑男岳山頂

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↑男女岳

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↑横岳

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↑男女岳登山道からの阿弥陀池(霞がひどかったです)

登山経路としては次の通りです。
駒ケ岳 登山経路.jpg
↑青→緑→橙→赤→黄緑の順で歩きました

午後1時前にはもう下山し終わっていました。温泉に入って、その後田沢湖の畔へ行き、田沢湖を見ました。辰子姫(像)は見ませんでしたが、写真は載せておきます。
田沢湖.jpg
辰子姫.jpg
とても疲れましたがまあまあ楽しかったです。
夕方からは昨日の祭りの続きです。この日は台の部分はなく、シャチの部分のみで町を練り歩きます。理由は、夜8時30分からこのシャチ灯籠を燃やしてしまうからです。シャチだけを燃やすので台の部分は要らないのです。この日は家の前を通らないということでわざわざ見に行きました。
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台がなくてもやはりシャチは立派でした。
夜8時30分、米代川の河口近くでいかだに浮かべられたシャチに点火されました。
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木と和紙で作られたシャチはアッという間に燃え尽き、市民そして夏にも別れを告げたようでした。燃えている間はこれまでと違い、哀調の囃子でシャチ灯籠を送りました。
8日は父だけ岩手山に行きました。僕は7日の疲れがすごかったのでやめました。
9日は父母と車で男鹿水族館GAOへ行きました。
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男鹿水族館は名前の通り男鹿半島にあります。男鹿半島と言えばゴジラ岩などが有名です。写真を載せておきます。
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水族館には魚がたくさんいました。印象に残ったのはホッキョクグマ、そして秋田の名物ハタハタでした。ハタハタは秋田名物の魚で秋田ではよく食べられています。ホッキョクグマも元気そうでした。そして、半島の一番先まで行きイクラ丼を食べました。その後北緯40度線と重なる線を見ました。地球の大きさを感じました。そして、家へ帰りました。コメリで祖母のための買い物をして、その後祖母も連れてITOKUへも行きました。
10日、楽しい1週間は瞬く間に過ぎ去り、帰る日がやってきました。自宅に帰ったのは朝9時頃秋田を出発して午後5時頃でした。僕は6日に買った大型シャチ灯籠のプラモデルを作りました。結構上手くできました。
楽しい1週間でした。


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I went skiing and enjoyed it! [行く]

僕は学校の行事で2013年2月5日~8日にかけての4日間、志賀高原の高天原スキー場へ行きました。随分と更新が遅れたことを誠にお詫び申し上げます。これまでの間も姉の結婚式や秋田県へ行ったことなどありましたが、時間がなく書けませんでした。まぁ、それは良いでしょう。朝7時40分くらいに学校に集合し観光バスで志賀高原へ行きました。

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↑地図で場所をご確認下さい

カメラは持って行きましたが、1枚しか撮りませんでしたので、ほぼネット上の画像を使わせて頂きます。ご了承下さい。宿泊するホテルに着いたらまずはお弁当(初日の昼食)を食べ、スキーウェアに着替えました。そうです。今回はスキー場に来たのでスキーをすることが目的なのです。初級・中級・上級とあり、僕はこれが初めてだったので初級でした。1~6組まである学年ですがホテルは1~4組、5・6組で違いました。この日のスキー場・ゲレンデの眺めは下の写真をご参照下さい。
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そして、開講式でレベルごとに分かれた講習班の前にそれぞれのコーチが立ちました。僕は25班でコーチは女性の方でした。初日、つまり来た日はスキー板に慣れるだけでした。スキー板の履き方、転んだときの立ち方、斜面に対し横を向いて斜面を登っていく歩き方、滑ってきたときのブレーキのかけ方(「ハ」の字)などを習いました。これで1日目は終了でした。僕はその時ブレーキをかけるのを難しく感じました。
夕食はバイキングでした。この後の朝食、昼食はずっとバイキングでした。
2日目も1日目と同じような感じでした。
3日目にはツアーがあり、自分で昼食をとって帰るということでとても疲れました。昼食は味噌ラーメンを食べました。楽しかったです。
4日目にはすごいブリザードで午前中で切り上げ、帰りました。4日間とても楽しかったです。
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Mitaka 宇宙の旅へ! [楽しむ]

自分の通う中学校の理科の時間に紹介されたソフト「Mitaka」を紹介します。「Mitaka」は、宇宙の星、銀河、星座などをシミュレーションで見ることが出来るソフトです。理科の時間にこれからは天体について学習するので、実際に先生のパソコンでそれを観たら、すごくリアルに星が描かれていたので、紹介します。まずはその画像を御覧下さい。
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↑上から太陽、水金地火木土天海(冥)、月の順

結構本物のように見えます。ダウンロードは無料です。ダウンロードしてみたい方はこちらをクリックして下さい。
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「B祭」 Students and their parents and friends enjoyed B Festival [楽しむ]

2012年9月8日~9日にかけて、僕の通うB中学校では、文化祭(B祭)が行われました。中学校と高校の混ざった学校なので、中高一緒に行われました。
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↑パンフレット

中学生は、CAという週に1度の特別授業のグループに分かれます。僕はCA数学に所属しています。今月3日~7日の準備期間に、班毎に分かれて模造紙に、ある調べた事柄を書きます。僕(1年生)の班は3年生が中心となって模造紙にまとめました。僕は3年生のシャーペンの下書きをなぞりました。2年生は殆ど何もしませんでした。先輩なのであまり書けませんが…。
そして3日~6日までの月曜日~木曜日の間に、模造紙を終わらせ、7日金曜日は文化祭の一般公開に向けて、部屋の準備をします。パネルを持って来たり、模造紙を貼ったりで大変でした。でも、下校は早かったのでラッキーです。
そして、当日の1日目土曜日。生徒は通常通り登校しました。朝、全体集会があり、そのごオープニングセレモニーが高校の中庭で行われました。そして、10時に一般公開がスタートしました。当番は決まっています。僕は午後の最初くらいだったと思います。まあ、頑張りました。勿論、生徒がまわる時間もあります。この日は友達と一緒に中学校をまわりました。CA生物が面白かったです。小さな入間川を作っていました。その中には、ザリガニ、魚、さらに亀までいました。また、奇術研究部の公演にも行きました。何しろ僕は奇術研究部所属なので……。でも高校生だけが出れば良い公演なので、僕は観客として行きました。そして、一般公開終了の15時30分になり、部屋の掃除をして、全体集会をして下校となりました。
2日目最終日の日曜日。生徒はいつも通りの登校、そして、オープニングセレモニーはなしで、その日の準備です。全体集会はありましたが……。そして、また10時から一般公開です。今日の当番は午前と午後をはさんだあたりです。それまでは昨日の友達と今度は高校をまわりました。まあ普通でした。スライムを作りました……。そして当番となりました。当番が終わり、その友達のところへ行ったら「疲れたからもう歩けない」と言って、裏へいってしまったので、それからの1時間位は一人でまわりました。かき氷を食べたりもしました。この日は、僕の両親が来ていたので、スタンプラリーをやってもらいました。その景品がこちらです。
文 シャーペン.jpg
シャーペンですね。
そして、14時45分のB祭終わりの時。この日のうちに片づけを終えました。そして全体集会で解散となりました。その後、後夜祭がありました。その祭りは出なくても良いのです。僕は一応出てみました。かき氷を無料で食べて、サブグラウンドというところへ行くと、何やら高校生が歌を歌っていました。かき氷はあまりシロップがかかっていませんでしたし、歌も面白くなかったのです。なので僕は一緒にいたクラスメイトと「帰ろう」と言って、途中でしたが帰りました。まあ、後夜祭以外は楽しかったです。来年も楽しみです。
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[曇り]東京都墨田区 I went to the TOKYO SKYTREE[曇り] [行く]

僕はお母さんと東京スカイツリーへ行きました。池袋で昼食をとってから、行きました。池袋からの行き方は、山手線で上野駅に行き、上野駅から銀座線で浅草駅へ。浅草駅から東武スカイツリーラインでとうきょうスカイツリー駅です。すぐ近くです。近くで見ると大迫力でした。上まで見るのが大変なくらいです。
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僕とお母さんはまず、すみだ水族館へ行きました。
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意外と小さかったですが、ペンギンが沢山いて丁度餌やりをしていました。
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この頃、バニラのソフトクリームを食べました。
その後、Solamachi(ソラマチ)にも行きました。そこでは、あるプラモデルを買って、家で作ってみました。
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ちゃんとライトが付く仕組みです。
皆様、「展望台は?」と思うかもしれませんが、展望台へは行きませんでした。すごく混んでいたからです。また、遠くも曇っていましたし…。
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ソラマチでの買い物が終わったので、帰ることにしました。またとうきょうスカイツリー駅から帰りました。家に着いたら、17時頃でしたでしょうか? 今日は初めての東京スカイツリーでとても楽しかったです。最後に遠くからの東京スカイツリーの画像を載せます。
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[晴れ]秋田県能代市へ To watch The Tanabata In Noshiro[晴れ] [行く]

僕とお父さんとお母さんは、一緒に2012年8月4日に秋田県能代市の祖父母の家へ車で行きました。ではありません…。僕の住んでいるところは埼玉県です。4日は秋田県の前に、高速道路で通る福島県にある五色沼へ行きました。磐梯山の近くです。朝は7時前後に家を出て、御昼時には福島へ着いたでしょうか? 結構な山道を通って五色沼へと行きました。

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↑地図(位置をご確認下さい)

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↑瑠璃沼(Google画像より)

以前、小学生の時の林間学校の時にも訪れたことがあるので、普通でした。磐梯山が見えました。
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↑磐梯山(奥)

この日は、郡山のかんぽの宿に泊まりました。磐梯熱海温泉がありました。夕食はステーキでした。美味しかったです。
次の日(5日)、いよいよ能代へ向けて出発です。この日は、能代市で「能代役七夕(ねぶながし)」という祭りがあるのです。14時くらいまでには車をその家の車庫へ入れなければなりません。理由は山車を引っ張って人々が歩くからです。因みに、祖父母はお母さんの両親です……。それは良いとして。なので急いで秋田へ向かいました。
そして長旅を経て、能代市の家へ着きました。行ったら、もう山車を引き始めていました。
夜になるとこのような画像になります。
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今年は4台山車が出ます。今年の当番長(最も中心となる町)は上町です。町毎にシャチの山車を作って、それを引っ張って当番長を中心に町中を練り歩きます。田楽、太鼓、横笛、山車と列になって歩きます。それにしても、山車の絵は手書きです。上手いですね。夜はライトが灯ってさらに綺麗です。この祭りは5日と6日に行われ今日はその一日目です。一日目は町中を練り歩きますが、二日目はさらなるイベントも御座いますので、お見逃しなく。この祭りの名前をまだお伝えしていませんでしたでしょうか? 「能代役七夕(ねぶながし)」と言います。ここから、画像を沢山載せて行きたいと思います。因みに、今年は揃い踏みの場所が能代駅であることを知らなかったので、行っていません。解散時の揃い踏みは、しっかり見ました。
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↑昼夜混ざっていますが、気にしないで下さい。

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↑揃い踏み(解散時)の画像

5日(祭り一日目)はこれにて終了です。
6日(祭り二日目)。この日も、午後から山車を引っ張って行きます。午前はとばして午後に移りましょう。また、14時頃から山車を引き始めます。今日の山車は昨日と違います。
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↑6日の山車

どこか違いますね。どこでしょうか? 正解は台座がないのです。先程の6日のイベントとは、米代川で山車(シャチのみ)を燃やすということなのです(これを「シャチ流し」という)。ちょっともったいない気持ちもありますが、そういうお祭りなので。因みに、袋がかぶさっているシャチがあります。それは雨が降った時のためです。シャチの紙は和紙です。骨組みに和紙を張り付けて、絵を描いているので、濡れてしまっては大変なのです。では、写真を載せて行きます。
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↑これが今年の合計4台の山車(シャチのみ)です

シャチは17時くらいには米代川へ向かいます。地図で言うとここです。下の地図を御覧下さい。
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↑黄緑色部分の辺りを練り歩き、水色部分からシャチ流しを見ます(なお、上の地図は画像なので、スライド出来ません)

僕はお父さんとお母さんと一緒に、シャチ流しを見に行きました。行ったら、もうシャチが川の上に浮かべられていました。20時に点火です。僕は、ババヘラアイスという秋田県だけのアイスクリームを食べました(因みに、書きませんでしたが、5日も食べましたよ)。愈々点火です。
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点火されました。本当は4台並んでいます。
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まだ1台点火されていなかったようです。
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このように、神様を煙で天に送っているのでしょうか? 今年は風が強くて、火の粉が沢山飛んで来ました。火事にならないのかと思うかもしれませんが、水上ですし、下流の方なので、川幅が広くなっています。また、いざという時のために、消防車が待機しているのでご安心を! 普通はシャチの中の電気が電球なので、電気を消して、燃やすのですが、今年は電気が付いたまま、燃やしていたような気がしました。人が小舟に乗って、松明をシャチの乗る筏に触れさせて、点火させます。やっている人は、熱いでしょうね。石油でも筏に撒くのでしょうか? この瞬間だけ、御囃子のメロディーも変わります。筏はそのままで、海に流します。シャチは和紙と木なので燃えるのが早いです。点火するとすぐに燃えてしまいます。僕は全てのシャチが崩れた頃、祖父母の家へ帰りました。
暫くして21時過ぎ頃、外が騒がしいので、出てみると、家のすぐ近くの交差点で、シャチを燃やした後の祭り参加者が盛り上がっていました。僕は一人で家の前のベンチでそれを見ていました。町の人々も沢山外にいました。
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数十分くらいやっていました。そして、それが終わると、誰かが喋って、解散式とか何とか言っていました。もうシャチがないのに、すごい盛り上がりようでした。最後は気合を入れよう、まだ祭りは終わっていないという意味なのでしょうか? その式が終わるとそれぞれの町へ帰って行きました。
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↑御覧の通り、もうシャチはありません。

5日と6日の2日間、七夕で盛り上がり、楽しかったです。来年は、台は貼りついている和紙だけ剥がして、骨組みに新しい紙を貼って絵を描くんですよ。またシャチは一から作り直します! 来年も楽しみです。
さて、7日。僕はお父さんと一緒に青森県の八甲田山へ行きました。

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↓こんな等高線付きの地図もあったので載せます。

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この日は、朝早く、5~6時くらいでしょうか? 車で能代から二ツ井、大館、碇ヶ関を経て、黒石、そして、八甲田山の麓にある、酸ヶ湯温泉から、登山を開始しました。
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↑酸ヶ湯温泉

雨が降っていたため、登山を断念しようとしたのに、お父さんが大丈夫と言って、無理矢理登りました。雨が降っていたので、酸ヶ湯温泉で温泉にだけつかって帰ろうという話だったのですが、一寸雨が止んだので、登りました…。なので、先に温泉につかって後から山に登ったということです。普通は逆ですよね。まあ、それは良いとします。登山道が、あまり整備されていませんでした。標高1584mの火山なので、途中までは高木が生えていますが、ほとんどは笹ばかりです。笹が登山道へとのり出し、道が塞がれている部分も多くありました。火山の山なので、硫黄のにおいがするところもありました。
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このような場所では、特定の植物しか育つことが出来ず、非常に植物が少なくなっています。また、湿原なども多くあり、自然が豊かでした。が、先程悪天候と書きました。雲ばかりで、殆ど景色が見えません。残念です。歩行時間は4時間40分です。登り下りの合計時間です。
頂上に着いたのは、御昼時。持って行った御握りと、バナナを食べました。
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下山は、頂上の近くの岩ばかりの急斜面が大変でした。でも後はなだらかな道、または急斜面でも階段が付いた道だったので楽でした。下りたところの湿原で、山の頂上が薄く見えました。
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しかし、ここで雨が本降りに近くなって来たので、急いで、下山しました。最後の方が、一寸急斜面でした。でも見事、酸ヶ湯温泉へ帰って来ました。登り下りは別のコースを歩きました。下りたコースの方が道が良かったです。
ここで、八甲田山の参考画像を載せます。(画像=Wikipedia)
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↑ 晴れた日の酸ヶ湯温泉付近からの頂上

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↑冬の八甲田山はこんな感じです

この日は、14~15時くらいには、登山が一通り終了し、16~17時くらいには、能代の祖父母の家へ着きました。悪天候で残念だったけど、まあまあ楽しかったです。最後に登山経路の紙を載せます。参考にして下さい。
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8日、この日は、家にいました。ぽんぽこ山とかいう名前のところへ行きました。展望台から日本海を一望しました。お墓参りをしたり、風の松原へ行ったりしました。あと、確か洋食レストランに洋食を食べにも行きました。僕はステーキを食べました。美味しかったです。
9日。今日は秋田に来て、2度目の登山。またお父さんに付き合わされました。今回は鳥海山です。

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↓またまた、等高線付きの地図も載せます。

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標高2236mの活火山です。こちらは秋田県と山形県の境目辺りにある山です。標高からすれば結構高いと思った方、正解です。登り下りで7時間30分かかります。山小屋もいくつかありますが、僕とお父さんは、日帰りで行きました。鉾立山荘というところから登りました。また朝早くに出たので、9時頃から登り始めたでしょうか? まずは、賽の河原というところを目指しました。僕は明け方頃、お腹が痛かったので大変でした。賽の河原に着く前も、何人かの下山者と擦れ違いました。僕はどのくらい早く登っているのかと思いましたが、多分、山小屋に泊まった方だと思います。それで、やっとの思いで、賽の河原へ着きました。1.9kmしかないのに、すごく時間が経ったような気がしました。次は御浜この辺りが中間地点といえるのではないでしょうか? 御浜へ行く前に、景色が良いところがありました。そして、御浜へ到着。ここには泊まれるそうです。そして次は、七五三掛です。読み方は「しめかけ」です。ここへ行くまでにも、景色が良いところがありました。
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下に見える湖は、鳥海湖です。また、この日もあまり天候が良くなかったのですが、薄く頂上が見える場面がありました。
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綺麗ですね。まあまあ歩いて、七五三掛へ到着しました。
鳥海山3.jpg
上の写真の奥を見て頂くと分かるように、岩ですね。こんなところがいくつも続きます。そして、その先に分かれ道がありました。外輪コース(外側の山をつたって行くコース)と??コース(山を一度下ってまた登るコース)の分かれ道です。僕とお父さんは、??コースへ行きました。外輪コースは危険だそうです。ここから雪渓の上を歩いたり、2~3時間くらい歩いて、頂上の一歩手前に着きました。ここに荷物を置いて、新山を目指します。しかしそこは、完全に岩。登山道なんてありません。
鳥海山4.jpg
どこに行けば良いか分かるように、矢印は書いてありますが、本当にそっちで良いのかと疑う谷のような地形を超えて、また一寸岩を登りました。
鳥海山 岩谷.jpg
そして、20分程して、やっと山頂に到着しました。山は大きいのに、頂上は凄く小さかったです。
鳥海山5.jpg
もう一人の方と3人で精一杯の広さです。この時既に13時頃。ゆっくりしていると下山に間に合わないので、直ぐに元来た道を折り返しました。しかし、帰りがまた結構大変でした。10~15分くらいで元の荷物を置いたところへ戻って来ました。そこで、御握りを食べて、下山に入りました。しかし、下山が結構大変でした。下山でも3時間程はかかります。なぜなら岩山が多く、スピード良く下りられないのです。それでも、七五三掛までは下りました。時間がなかったので、頑張りました。途中、曇って来ました。そして大粒の雨が降ってきました。僕は雨具を着て歩きました。すぐに雨はやみました。そして、御浜へ到着しました。そして、賽の河原を目指しました。数十分くらいで着きました。この時、非常に雲が多くなっていました。次は、登山口の鉾立山荘です。1.9kmもあります。2組の登山客を追い抜いて、進みました。すると、鉾立山荘が見えてきました。もう一寸です。来た道を急いで戻りました。そして、遂に下山終了です。それと同時に鳥海山登山を達成しました。山荘の売店で、お父さんに500mlジュースを買って貰いました。冷たくて美味しく感じました。16時くらいでしたでしょうか? 意外と速い下山でした。そして、車でくねくねした山道を下りて、帰りました。途中、夕日が見えました。といっても、沈むところではありません。
鳥海山6.jpg
日本海に映った夕日です。綺麗ですね! その時に、お父さんが車の写真も撮ったので、載せます。
鳥海山7.jpg
↑行った車

今日は達成感がありました。まあまあ楽しかったです。最後に、晴れた日の鳥海山の写真と登山ルートを載せます。
鳥海山.jpg
map.gif
まあ、良い思い出です。
10日、この日は秋田にいる最後の日。でも、特に何もしませんでした。
11日、この日は朝8時頃帰りました。日本海東北道を使い、東北道を使い、帰りました。家に着いたら、18時頃でした。楽しい一週間でした。
(未完成記事です。長い記事なので今週中には完成させます。)
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歯の治療10 [治療]

僕は、2012年7月31日に、都立豊島病院へ行き、歯の治療を受けました。とはいっても、レントゲンを撮っただけです。前は骨が出来るところに、少し穴が残っていました。今回も同じような穴が残っていましたが、周りの骨がちょっとしっかりしたように見えました。先生は、「真ん中に線維が残る場合があるので、気にしなくて結構です」ということを言っていましたので、今のところ再発はありません。このまま再発しない人もいれば、何年か後にまた再発する人もいるそうです。まだ気は抜けません。とりあえず、再発がなくて良かったです。
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