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The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 5th Day and the 6th Day [行く]
(前の記事からの続きです。見たい方はこちらをクリックして下さい。)
5日目の22日、この日は6時起床、7時朝食、8時30分ホテル発で、ミケランジェロ広場へ行きました。そこからの眺めがとても綺麗でした。ここではクラス写真も撮影しました。
その後、約90km離れたピサへ行きました。
ここで有名なのは、皆様お察しの通り、ピサの斜塔です。
ピサの斜塔がある広場的な部分は、こんな感じでした。
そして、これが有名なピサの斜塔です。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453tだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の恐れがあったがその後の処置により、当分問題ないと判断されています。5.5度傾いていたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に留まっています。 かつてガリレオがピサの斜塔の上から物体を落とす実験をしたことでも有名です。ピサの斜塔は結構有名だと思うので、見ることができて嬉しかったです。本当に倒れてこないのか心配になりました。
その後、ドゥオモ、洗礼堂の内部に入りました。
ドゥオモ内の写真です。
これは誰か有名な人が作った電球だそうですが、忘れました。
誰かの墓もありました。
続いて洗礼堂です。
この洗礼堂の内部です。
写真を見ただけで見受けられるとは思いますが、結構響きます。30分毎に声の良い人がその音響効果を試してくれます。実際、それを聞きました。案の定、すごく響いていました。綺麗というか幻想的というか、そんなような声でした。
この後数十分間、自由行動がありました。
その後12時、レストランで昼食をとりました。そして13時30分、300km先のパドヴァへバスで移動しました。
約4時間30分後、パドヴァのホテルに到着しました。よってホテル着は18時です。
この日は19時夕食、22時点呼・就寝でした。
6日目の23日は6時起床、7時15分朝食、8時45分ホテル発。そして40km先のヴェネツィアへ行きました。9時30分にヴェネツィアに到着しました。
その後10時頃、水上バスで移動しました。水の都だけに、水絡みが多いです。
↑水上バスからの眺めが綺麗でした。
到着した船着き場の辺りから見えました。まさにイタリアという感じですね。
その後、ヴェネツィア市内を見学しました。
最初に、サンマルコ広場に行きました。
結構広かったです。その後は、サンマルコ寺院へ行きました。ここは撮影禁止だったので、外観だけです。
そして、リアルト橋へと向かいました。
橋の上からの眺めが綺麗でした。
そして、橋を渡り、橋の写真を撮りました。
日本にはないような形の橋でした。
その後、ドゥカーレ宮殿内を見学しました。
内部の画像をご覧下さい。
宮殿の窓からの眺めが綺麗だったので、撮影しました。
宮殿が収容所だか刑務所だかに繋がっていたので、そちらにも入りました。ドアなどは高さが低く、屈まないと通れないほどでした。
こんなところに入れられたら、たまったもんじゃありませんね。
そして、ヴェネツィアングラスの工房へ行きました。
非常に熱いガラスの溶けたものを職人の早業でコップなどの形にしていきます。鮮やかな色は炎色反応によるもので、赤は金を使っているのでそれだけ値段が高めです。また、蛍光灯にあてると色が変わるものもありました。僕は90ユーロも出してお猪口2点セットを買いました。その写真は次の記事のお土産にまとめて載せるつもりです。一応、ベネチアングラスの画像を載せておきます。
そして、12時30分を回り、班毎に自由時間、たっぷりと16時までです。
↑眺めがヴェネツィアという感じでした。
昼食はレストランで本場マルゲリータを食べました。本場の味がして、美味しかったです。その後はお土産を買ったりしていました。実は、この日はヴェネツィアは生憎の雨天で、雨がしとしと降ったりやんだりを繰り返していました。しかし、この自由行動の際に、土砂降りの雨が降ってきました。水の都だからでしょうか? 本当に水絡みが多いんだなと思いました。前の学年は、ヴェネツィアで有名なゴンドラに乗るのを許されていたのですが、我々は残念ながら許可が下りませんでした。一応写真だけで雰囲気を出しておきます。
これに乗ればヴェネツィアという感じでしたが・・・。
自由行動時間は長すぎるくらいでしたが、やっと終わり、また水上バスで引き換えし、17時にはヴェネツィアを出発しました。ホテルに着いたのは17時30分。その後、18時30分に夕食、21時30分就寝でした。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① レストランでは自分が食べた机の上に代金を置いていきます。レジみたいなところがあるわけではありません。
② イタリアはスリ(ジプシーなど)が多いといわれているが、普通にしていれば大丈夫です。
③ ホテルはオートロックかつカードキーです。カードキーで開ける方法が難しいホテルもありました。
④ アフリカ人らしき人が路上で売っているカバンなどは偽ブランドらしいです。
⑤ちゃんとした屋台っぽい露店でしか物は買わない方が良いです。投げると広がってまた元に戻るおもちゃ(ボールのようなもの)を買った人がいましたが、4時間で壊れました。安物かつ不良品です。
⑥ 露天商で買うかと聞かれ、Noと言うとChineseと言ってきます。
ではGrazie! Addio!
5日目の22日、この日は6時起床、7時朝食、8時30分ホテル発で、ミケランジェロ広場へ行きました。そこからの眺めがとても綺麗でした。ここではクラス写真も撮影しました。
その後、約90km離れたピサへ行きました。
ここで有名なのは、皆様お察しの通り、ピサの斜塔です。
ピサの斜塔がある広場的な部分は、こんな感じでした。
そして、これが有名なピサの斜塔です。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453tだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の恐れがあったがその後の処置により、当分問題ないと判断されています。5.5度傾いていたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に留まっています。 かつてガリレオがピサの斜塔の上から物体を落とす実験をしたことでも有名です。ピサの斜塔は結構有名だと思うので、見ることができて嬉しかったです。本当に倒れてこないのか心配になりました。
その後、ドゥオモ、洗礼堂の内部に入りました。
ドゥオモ内の写真です。
これは誰か有名な人が作った電球だそうですが、忘れました。
誰かの墓もありました。
続いて洗礼堂です。
この洗礼堂の内部です。
写真を見ただけで見受けられるとは思いますが、結構響きます。30分毎に声の良い人がその音響効果を試してくれます。実際、それを聞きました。案の定、すごく響いていました。綺麗というか幻想的というか、そんなような声でした。
この後数十分間、自由行動がありました。
その後12時、レストランで昼食をとりました。そして13時30分、300km先のパドヴァへバスで移動しました。
約4時間30分後、パドヴァのホテルに到着しました。よってホテル着は18時です。
この日は19時夕食、22時点呼・就寝でした。
6日目の23日は6時起床、7時15分朝食、8時45分ホテル発。そして40km先のヴェネツィアへ行きました。9時30分にヴェネツィアに到着しました。
その後10時頃、水上バスで移動しました。水の都だけに、水絡みが多いです。
↑水上バスからの眺めが綺麗でした。
到着した船着き場の辺りから見えました。まさにイタリアという感じですね。
その後、ヴェネツィア市内を見学しました。
最初に、サンマルコ広場に行きました。
結構広かったです。その後は、サンマルコ寺院へ行きました。ここは撮影禁止だったので、外観だけです。
そして、リアルト橋へと向かいました。
橋の上からの眺めが綺麗でした。
そして、橋を渡り、橋の写真を撮りました。
日本にはないような形の橋でした。
その後、ドゥカーレ宮殿内を見学しました。
内部の画像をご覧下さい。
宮殿の窓からの眺めが綺麗だったので、撮影しました。
宮殿が収容所だか刑務所だかに繋がっていたので、そちらにも入りました。ドアなどは高さが低く、屈まないと通れないほどでした。
こんなところに入れられたら、たまったもんじゃありませんね。
そして、ヴェネツィアングラスの工房へ行きました。
非常に熱いガラスの溶けたものを職人の早業でコップなどの形にしていきます。鮮やかな色は炎色反応によるもので、赤は金を使っているのでそれだけ値段が高めです。また、蛍光灯にあてると色が変わるものもありました。僕は90ユーロも出してお猪口2点セットを買いました。その写真は次の記事のお土産にまとめて載せるつもりです。一応、ベネチアングラスの画像を載せておきます。
そして、12時30分を回り、班毎に自由時間、たっぷりと16時までです。
↑眺めがヴェネツィアという感じでした。
昼食はレストランで本場マルゲリータを食べました。本場の味がして、美味しかったです。その後はお土産を買ったりしていました。実は、この日はヴェネツィアは生憎の雨天で、雨がしとしと降ったりやんだりを繰り返していました。しかし、この自由行動の際に、土砂降りの雨が降ってきました。水の都だからでしょうか? 本当に水絡みが多いんだなと思いました。前の学年は、ヴェネツィアで有名なゴンドラに乗るのを許されていたのですが、我々は残念ながら許可が下りませんでした。一応写真だけで雰囲気を出しておきます。
これに乗ればヴェネツィアという感じでしたが・・・。
自由行動時間は長すぎるくらいでしたが、やっと終わり、また水上バスで引き換えし、17時にはヴェネツィアを出発しました。ホテルに着いたのは17時30分。その後、18時30分に夕食、21時30分就寝でした。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① レストランでは自分が食べた机の上に代金を置いていきます。レジみたいなところがあるわけではありません。
② イタリアはスリ(ジプシーなど)が多いといわれているが、普通にしていれば大丈夫です。
③ ホテルはオートロックかつカードキーです。カードキーで開ける方法が難しいホテルもありました。
④ アフリカ人らしき人が路上で売っているカバンなどは偽ブランドらしいです。
⑤ちゃんとした屋台っぽい露店でしか物は買わない方が良いです。投げると広がってまた元に戻るおもちゃ(ボールのようなもの)を買った人がいましたが、4時間で壊れました。安物かつ不良品です。
⑥ 露天商で買うかと聞かれ、Noと言うとChineseと言ってきます。
ではGrazie! Addio!
The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 3rd Day and the 4th Day [行く]
(前の記事からの続きです。見たい方はこちらをクリックして下さい。)
3日目の20日、この日は5時30分起床、6時15分朝食。そしてホテルを移るので、スーツケースをまとめて、7時45分にホテル出発でした。そして、再びサンピエトロ大聖堂へ行き、今度はローマ法王の謁見式のために長蛇の列に並びました。8時過ぎくらいからだったでしょう。長時間並んだ後、セキュリティーチェックがあり、中へ入りました。謁見式会場はまさにキリスト教という感じでした。
そして数十分後、ローマ法王がやってきました。
他の観衆の興奮度は計り知れませんでした。皆、平和の象徴とも言えるローマ法王と握手したり、彼に抱きついたりしている人もいました。また、観衆の掛け声などもとても大きかったです。僕の学校の生徒もバンダナを振りながら、「VIVA PAPA!」というはずでしたが、名前が呼ばれなかったので言いませんでした。謁見式は結構1~2時間は続いていました。これで午前中の日程は終わりです。滅多に見る機会のないローマ法王を見ることができて良かったです。
レストランでの昼食後、ローマを発ち、バスでフィレンツェへ向かいました。この日は向かうだけでホテルに着いて普通に夕食、就寝が22時でした。
4日目の21日、この日はフィレンツェ市内を観光ました。
6時起床、7時朝食、7時45分ホテル出発。そしてバスで移動し、その後、ウフィッツィ美術館へ行きました。
ここには数多くの名画・彫刻が展示されていました。いくつか載せます。
↑これはプリマヴェーラという有名な絵画です。
↑ラファエロの自画像です。
さらに、この美術館から後に行くベッキオ橋が見えました。
他にも何か見えたので撮りました。
↑これはシニョーリア広場にありました。
その後、シニョーリア広場に行きました。
ここにはミケランジェロの有名な彫刻、ダヴィデ像がありました。
また、馬車もありました。
ここの広場沿いにある教会らしきところの内部の写真を載せます。
その後、町を歩いて、花の聖母教会へ行きました。
内部の画像です。
その後昼食のレストランへ行く途中での写真を載せます。
何か古い建物だそうですが、忘れました。
そして、レストランにて昼食をとりました。
その後、免税店に行きました。革製品を買いました。そして、サンジョバンニ大聖堂に行きました。
内部の写真を載せます。
ここでは昔の人のお墓があるらしく、棺桶のようなものも見受けられます。
その後、ベッキオ橋でない橋を渡り、道を歩いていると眺めが綺麗だったので、写真に撮りました。
そして、昔の誰かの邸宅へ行きました。
そして、ベッキオ橋を渡りました。そこからの眺めです。
とても綺麗でした。
その後、なんだか分からないけれど、イノシシの銅像を見ました。
その後、もう夕食です。レストランへ行きました。そして、ホテルに帰りました。この日は、就寝が21時と早かったです。これで3日目・4日目は終わりです。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① 風呂のシャワーにホースがありません。
② テレビ番組はドラマばかり。バラエティーなどほとんどありません。
③ ベッドメイキングのチップを置く必要があります。
④ 露天商が多いです。
⑤ 制服を着て集団で歩いていると、外国人に写真を撮られてしまいます。それほど珍しいのでしょうか?
⑥ イタリア人ウェイター・ウェイトレスは何かと雑です。まず、ローマのホテルでは、ジュースを注ぐ機械のジュースが濃かったり、薄かったり。また、皿の置き方が雑でした。また、食器が何かと汚れていることがありました。
Grazie, Ciao!
3日目の20日、この日は5時30分起床、6時15分朝食。そしてホテルを移るので、スーツケースをまとめて、7時45分にホテル出発でした。そして、再びサンピエトロ大聖堂へ行き、今度はローマ法王の謁見式のために長蛇の列に並びました。8時過ぎくらいからだったでしょう。長時間並んだ後、セキュリティーチェックがあり、中へ入りました。謁見式会場はまさにキリスト教という感じでした。
そして数十分後、ローマ法王がやってきました。
他の観衆の興奮度は計り知れませんでした。皆、平和の象徴とも言えるローマ法王と握手したり、彼に抱きついたりしている人もいました。また、観衆の掛け声などもとても大きかったです。僕の学校の生徒もバンダナを振りながら、「VIVA PAPA!」というはずでしたが、名前が呼ばれなかったので言いませんでした。謁見式は結構1~2時間は続いていました。これで午前中の日程は終わりです。滅多に見る機会のないローマ法王を見ることができて良かったです。
レストランでの昼食後、ローマを発ち、バスでフィレンツェへ向かいました。この日は向かうだけでホテルに着いて普通に夕食、就寝が22時でした。
4日目の21日、この日はフィレンツェ市内を観光ました。
6時起床、7時朝食、7時45分ホテル出発。そしてバスで移動し、その後、ウフィッツィ美術館へ行きました。
ここには数多くの名画・彫刻が展示されていました。いくつか載せます。
↑これはプリマヴェーラという有名な絵画です。
↑ラファエロの自画像です。
さらに、この美術館から後に行くベッキオ橋が見えました。
他にも何か見えたので撮りました。
↑これはシニョーリア広場にありました。
その後、シニョーリア広場に行きました。
ここにはミケランジェロの有名な彫刻、ダヴィデ像がありました。
また、馬車もありました。
ここの広場沿いにある教会らしきところの内部の写真を載せます。
その後、町を歩いて、花の聖母教会へ行きました。
内部の画像です。
その後昼食のレストランへ行く途中での写真を載せます。
何か古い建物だそうですが、忘れました。
そして、レストランにて昼食をとりました。
その後、免税店に行きました。革製品を買いました。そして、サンジョバンニ大聖堂に行きました。
内部の写真を載せます。
ここでは昔の人のお墓があるらしく、棺桶のようなものも見受けられます。
その後、ベッキオ橋でない橋を渡り、道を歩いていると眺めが綺麗だったので、写真に撮りました。
そして、昔の誰かの邸宅へ行きました。
そして、ベッキオ橋を渡りました。そこからの眺めです。
とても綺麗でした。
その後、なんだか分からないけれど、イノシシの銅像を見ました。
その後、もう夕食です。レストランへ行きました。そして、ホテルに帰りました。この日は、就寝が21時と早かったです。これで3日目・4日目は終わりです。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① 風呂のシャワーにホースがありません。
② テレビ番組はドラマばかり。バラエティーなどほとんどありません。
③ ベッドメイキングのチップを置く必要があります。
④ 露天商が多いです。
⑤ 制服を着て集団で歩いていると、外国人に写真を撮られてしまいます。それほど珍しいのでしょうか?
⑥ イタリア人ウェイター・ウェイトレスは何かと雑です。まず、ローマのホテルでは、ジュースを注ぐ機械のジュースが濃かったり、薄かったり。また、皿の置き方が雑でした。また、食器が何かと汚れていることがありました。
Grazie, Ciao!
The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 1st Day and the 2nd Day [行く]
僕は日本時間の2014年8月18~25日に学校のイタリア研修旅行(いわゆる修学旅行)に参加していました。その名の通り、イタリアへ行きました。
初日の18日、8時45分に京成上野駅に集合、その後10時3分成田空港へ到着しました。
そして出国手続きを行い、13時15分にアリタリア航空の便で成田空港を出発、イタリアのローマにあるフィウミチーノ空港へ12時間45分をかけて到着しました。機内食はあまり美味しくありませんでした。12時間もの長いフライトに耐えるのが辛かったです。飛行機からの眺めは綺麗な部分もありましたが、雲がいっぱいで真っ白な部分もありました。何しろ、高度10000mもの上空を飛んでいるのですから。着陸のときに気圧の変化により、耳が痛くならないように、鼻に薬をさしたところ、本当に痛くなりませんでした。
そしてローマへ到着しました。
現地時間で19時のことです。イタリアと日本の時差は7時間だったので、日本では19日の0時でした。ここからはイタリア時間で書いていきます。
入国手続きを終え、21時過ぎくらいにホテルに到着しました。22時に消灯しました。この日は当然の如く、何の観光もありませんでした。
2日目の19日、6時起床、7時15分朝食、8時45分にホテルを出発しました。この日はローマ市内を見学しました。
まずは、サンピエトロ大聖堂です。
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山です。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロのイタリア語読みに由来します。カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。床面積2万3,000m²です。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
内部にも入りました。
聖堂を出たところで、スイス衛兵を見かけました。
変わった服を着ていて、背も高く、恰好いいですね。
外に出た後、ガイドさんがある一点から見ると柱が揃って見えると教えてくれました。
その後、トレビの泉、スペイン広場へ向かいました。トレビの泉は水がなく、工事中という無残な姿だったので、インターネット上の画像を引用します。
トレビの泉にはこんな言い伝えがあります。後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶い、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされています。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りです。
僕は、トレビの泉でジェラートを食べました。
続いてスペイン広場です。
長い階段が有名で、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べた場所として有名だそうです。上からの眺めが綺麗でした。
ここでレストランでの昼食をはさみ、午後の観光に向かいました。
次は有名なコロッセオです。
中にも入りました。
コロッセオはローマ帝政期に造られた円形闘技場だそうです。
コロッセオを見た後はすぐ近くのフォロロマーノに行きました。
色々な遺跡がありました。
この日最後は、真実の口を見ました。
口に手を入れられることで有名です。
それがあった教会の内部の写真です。
そして、元のホテルへ戻り、夕食を食べて22時に消灯でした。夕食時に和田神父という現地の神父から30分程度のお話がありました。これは「愛すること」についての話でしたが、皆様が想像するような愛ではありませんでした。聖書の「愛」についてでした。
これで初日・2日目は終わりです。
ここで、イタリアについて気づいたことをいくつかまとめてみます。
① 水は有料です。
② イタリア人は声がでかい。
③ イタリアのホテルのテレビをつけるには、チャンネルと電源ボタンを同時に押さなければなりません。
Ciao!
初日の18日、8時45分に京成上野駅に集合、その後10時3分成田空港へ到着しました。
そして出国手続きを行い、13時15分にアリタリア航空の便で成田空港を出発、イタリアのローマにあるフィウミチーノ空港へ12時間45分をかけて到着しました。機内食はあまり美味しくありませんでした。12時間もの長いフライトに耐えるのが辛かったです。飛行機からの眺めは綺麗な部分もありましたが、雲がいっぱいで真っ白な部分もありました。何しろ、高度10000mもの上空を飛んでいるのですから。着陸のときに気圧の変化により、耳が痛くならないように、鼻に薬をさしたところ、本当に痛くなりませんでした。
そしてローマへ到着しました。
現地時間で19時のことです。イタリアと日本の時差は7時間だったので、日本では19日の0時でした。ここからはイタリア時間で書いていきます。
入国手続きを終え、21時過ぎくらいにホテルに到着しました。22時に消灯しました。この日は当然の如く、何の観光もありませんでした。
2日目の19日、6時起床、7時15分朝食、8時45分にホテルを出発しました。この日はローマ市内を見学しました。
まずは、サンピエトロ大聖堂です。
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山です。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロのイタリア語読みに由来します。カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。床面積2万3,000m²です。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
内部にも入りました。
聖堂を出たところで、スイス衛兵を見かけました。
変わった服を着ていて、背も高く、恰好いいですね。
外に出た後、ガイドさんがある一点から見ると柱が揃って見えると教えてくれました。
その後、トレビの泉、スペイン広場へ向かいました。トレビの泉は水がなく、工事中という無残な姿だったので、インターネット上の画像を引用します。
トレビの泉にはこんな言い伝えがあります。後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶い、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされています。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りです。
僕は、トレビの泉でジェラートを食べました。
続いてスペイン広場です。
長い階段が有名で、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べた場所として有名だそうです。上からの眺めが綺麗でした。
ここでレストランでの昼食をはさみ、午後の観光に向かいました。
次は有名なコロッセオです。
中にも入りました。
コロッセオはローマ帝政期に造られた円形闘技場だそうです。
コロッセオを見た後はすぐ近くのフォロロマーノに行きました。
色々な遺跡がありました。
この日最後は、真実の口を見ました。
口に手を入れられることで有名です。
それがあった教会の内部の写真です。
そして、元のホテルへ戻り、夕食を食べて22時に消灯でした。夕食時に和田神父という現地の神父から30分程度のお話がありました。これは「愛すること」についての話でしたが、皆様が想像するような愛ではありませんでした。聖書の「愛」についてでした。
これで初日・2日目は終わりです。
ここで、イタリアについて気づいたことをいくつかまとめてみます。
① 水は有料です。
② イタリア人は声がでかい。
③ イタリアのホテルのテレビをつけるには、チャンネルと電源ボタンを同時に押さなければなりません。
Ciao!
2014年 今年も秋田県能代市へ! [遊ぶ]
僕は2014年8月5~8日にかけて、母と秋田県能代市の祖母の家(母の実家)に行きました(祖父は昨年他界したので「祖母の」としてあります)。5日に新幹線で行って、8日にまた新幹線で帰省というごく一般的な旅でした。新幹線はスーパーこまちです。
上の画像を参照すると分かりますが、今回使ったのは左側です。右側は結構前まで走っていました。今は走っているのか分かりません。
所要時間はざっと3時間ほどです。ずっと座っているととても長いです。大宮を出発し秋田まで行きます。秋田駅からは奥羽本線で東能代まで行き、その後五能線で能代まで行きます。秋田からここまで1時間半くらいかかります。東北は交通の便が悪いなと思います。
5日の夜23時頃、歯を磨こうとしたときに、風呂場の方から「カチカチ」音がしたので見たら、途中に置いてある椅子のところにバッタのような長い脚が見えました。この時点では何の虫だか分かりませんでしたが、次の日、本体を見たらカマドウマでした。気持ち悪く、いわゆる不快害虫なので、画像は載せませんが、知りたいあるいは見たい方はこの「カマドウマ」の文字をクリック。祖母が見つけ次第ティッシュで殺していました。
次の日(6日)は毎年行われる能代役七夕の初日でした。これはいわゆる祭りです。今年は馬喰町、清助町の灯篭でした。夕方くらいから町を練り歩き、町の人々にシャチ灯篭を見せて回ります。それぞれの町が、田楽、太鼓、横笛、灯篭というように列をなしています。19時30分くらいからAEONの近くで揃い打ちが行われました。そのときに、灯篭が2つ1列に並んだので写真を撮りました。
とても綺麗ですよね。祖母の家の前は2回通りました。なのでAEONの方まで行かずとも見ることはできたのですが・・・。この後、それぞれの町にそれぞれの灯篭が帰ります。これで1日目は終わりです。
次の日(7日)は能代役七夕の最終日です。この日はシャチ灯篭の下の土台の部分はなく、シャチのみです。この日も同様に町を練り歩きました。
この後例年ならば米代川へ行ってシャチを燃やすのですが(これをシャチ流しと呼ぶ)、この僕の滞在中、秋田県は大雨に見舞われ、川が増水していてそこでシャチ流しをすることができませんでした。しかし、燃やすことは伝統なので、省く訳にはいきません。そこで、祖母の家から結構遠い能代下浜ふ頭というほぼ海のところでシャチ流しをすることになりました。急遽決まったことなので、僕と母も最初は米代川の近くの貯水池みたいなところに行っていましたが、その後場所が違うことに気づき、海の方へ行きました。
20時30分が点火予定だったのですが、場所が遠くなったせいか、20時45分に点火しました。
点火したくらいで、大雨が降ってきました。これが原因でシャチが燃えにくくなっていました。また雨を避けようとビニールを被せたまま燃やしました。これも燃えにくかった理由でしょう。点火した瞬間、点火前の囃子と雰囲気が変わり、哀調の囃子になりました。笛の音が響いて綺麗でした。シャチはだんだん燃えていき、骨組みだけになりました。この雨さえなければとも思いました。遠いところでやられたもので、帰宅するのも大変でした。しかし、どちらにせよ、2つのシャチ灯篭は人々の様々な思いを乗せて、煙となって天に昇って行きました。これで能代の夏の風物詩でもある能代役七夕は幕を閉じました。
8日、僕と母は午後の新幹線で帰りました。家に着いたら、もう18時30分くらいでした。
色々と大変で疲れましたが、1年に1回のことでとても楽しかったです。
上の画像を参照すると分かりますが、今回使ったのは左側です。右側は結構前まで走っていました。今は走っているのか分かりません。
所要時間はざっと3時間ほどです。ずっと座っているととても長いです。大宮を出発し秋田まで行きます。秋田駅からは奥羽本線で東能代まで行き、その後五能線で能代まで行きます。秋田からここまで1時間半くらいかかります。東北は交通の便が悪いなと思います。
5日の夜23時頃、歯を磨こうとしたときに、風呂場の方から「カチカチ」音がしたので見たら、途中に置いてある椅子のところにバッタのような長い脚が見えました。この時点では何の虫だか分かりませんでしたが、次の日、本体を見たらカマドウマでした。気持ち悪く、いわゆる不快害虫なので、画像は載せませんが、知りたいあるいは見たい方はこの「カマドウマ」の文字をクリック。祖母が見つけ次第ティッシュで殺していました。
次の日(6日)は毎年行われる能代役七夕の初日でした。これはいわゆる祭りです。今年は馬喰町、清助町の灯篭でした。夕方くらいから町を練り歩き、町の人々にシャチ灯篭を見せて回ります。それぞれの町が、田楽、太鼓、横笛、灯篭というように列をなしています。19時30分くらいからAEONの近くで揃い打ちが行われました。そのときに、灯篭が2つ1列に並んだので写真を撮りました。
とても綺麗ですよね。祖母の家の前は2回通りました。なのでAEONの方まで行かずとも見ることはできたのですが・・・。この後、それぞれの町にそれぞれの灯篭が帰ります。これで1日目は終わりです。
次の日(7日)は能代役七夕の最終日です。この日はシャチ灯篭の下の土台の部分はなく、シャチのみです。この日も同様に町を練り歩きました。
この後例年ならば米代川へ行ってシャチを燃やすのですが(これをシャチ流しと呼ぶ)、この僕の滞在中、秋田県は大雨に見舞われ、川が増水していてそこでシャチ流しをすることができませんでした。しかし、燃やすことは伝統なので、省く訳にはいきません。そこで、祖母の家から結構遠い能代下浜ふ頭というほぼ海のところでシャチ流しをすることになりました。急遽決まったことなので、僕と母も最初は米代川の近くの貯水池みたいなところに行っていましたが、その後場所が違うことに気づき、海の方へ行きました。
20時30分が点火予定だったのですが、場所が遠くなったせいか、20時45分に点火しました。
点火したくらいで、大雨が降ってきました。これが原因でシャチが燃えにくくなっていました。また雨を避けようとビニールを被せたまま燃やしました。これも燃えにくかった理由でしょう。点火した瞬間、点火前の囃子と雰囲気が変わり、哀調の囃子になりました。笛の音が響いて綺麗でした。シャチはだんだん燃えていき、骨組みだけになりました。この雨さえなければとも思いました。遠いところでやられたもので、帰宅するのも大変でした。しかし、どちらにせよ、2つのシャチ灯篭は人々の様々な思いを乗せて、煙となって天に昇って行きました。これで能代の夏の風物詩でもある能代役七夕は幕を閉じました。
8日、僕と母は午後の新幹線で帰りました。家に着いたら、もう18時30分くらいでした。
色々と大変で疲れましたが、1年に1回のことでとても楽しかったです。
学校休校 My School Made Its Students Keep at Home on The Rainy and Windy Day. [吃驚]
僕の学校は2013年9月5日、夏休みが終了し、新学期が始まってまもなく、大雨・洪水警報が発令されたため、休校になりました。僕は今中学2年生ですが、この学校に入学して初めてのことです。埼玉県の学校なので、猛烈な雨をもたらした雨雲が通過した地域です。
僕は今日の朝、家を出て電車に乗り、学校の最寄り駅へ到着しました。そこでは僕の学校のたくさんの中学生・高校生が待機していました(中高一貫です)。僕がその駅へ着いたときはまだ自宅待機の指示だったのですが、その駅へ着いて初めてそれを聞かされました。少し待ちましたが、学校が休校になる可能性の方が高いということで止むを得ず、また電車で帰宅することにしました。
家に着くと、母から休校の知らせがありました。ですので、この日は家でゆっくりしていました。
この日の雨はとてもすごかったことは、関東に住んでいる方々はご存知だと思います。僕も行くときは大丈夫だったのですが、帰るときが土砂降りの雨でした。
現在では、関東では水不足に悩まされています。ただ単に「雨」といってもやはり短所だけではないのだと感じました。
僕は今日の朝、家を出て電車に乗り、学校の最寄り駅へ到着しました。そこでは僕の学校のたくさんの中学生・高校生が待機していました(中高一貫です)。僕がその駅へ着いたときはまだ自宅待機の指示だったのですが、その駅へ着いて初めてそれを聞かされました。少し待ちましたが、学校が休校になる可能性の方が高いということで止むを得ず、また電車で帰宅することにしました。
家に着くと、母から休校の知らせがありました。ですので、この日は家でゆっくりしていました。
この日の雨はとてもすごかったことは、関東に住んでいる方々はご存知だと思います。僕も行くときは大丈夫だったのですが、帰るときが土砂降りの雨でした。
現在では、関東では水不足に悩まされています。ただ単に「雨」といってもやはり短所だけではないのだと感じました。
2=1 ??? 数学の不思議! MATHEMATICS!! [考える]
数学の面白い話題を見つけましたのでご紹介します。
上の式、不思議ですよね。
a=bとします。
両辺にaをかけます。
両辺からbの2乗を引きます。
両辺を因数分解します。
両辺をa-bでわります。
a=bより、b+b=b
2b=b
両辺をbでわります。
すると上のような結果になります。
「a=bより」というのがおかしいのでしょうか? また、そもそも「a=b」と最初に置くことが間違えているのでしょうか?
何とも不思議な上の式、皆様分かりますか?
正解は……、(a+b)(a-b)=b(a-b)の両辺をa-bで割るということがおかしいのです。a=bというのがさらなるヒントとなります。a=bより、a-b=0になりますよね。つまりa-aやb-bと同じなわけです。割り算の決まりで、数を0で割ることはできません。ここが間違っているから、この後の計算がくい違ってしまうのです。
数学というのは面白い教科です。どこか一ヶ所が間違えていると、全て間違いになるのですから。おそらく数学が好きな方や得意な方なら瞬殺だったのではないでしょうか?
これを自分なりの証明にまとめてみました。
こんな感じでこれからも数学について載せていけたらなと思います。
上の式、不思議ですよね。
a=bとします。
両辺にaをかけます。
両辺からbの2乗を引きます。
両辺を因数分解します。
両辺をa-bでわります。
a=bより、b+b=b
2b=b
両辺をbでわります。
すると上のような結果になります。
「a=bより」というのがおかしいのでしょうか? また、そもそも「a=b」と最初に置くことが間違えているのでしょうか?
何とも不思議な上の式、皆様分かりますか?
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正解は……、(a+b)(a-b)=b(a-b)の両辺をa-bで割るということがおかしいのです。a=bというのがさらなるヒントとなります。a=bより、a-b=0になりますよね。つまりa-aやb-bと同じなわけです。割り算の決まりで、数を0で割ることはできません。ここが間違っているから、この後の計算がくい違ってしまうのです。
数学というのは面白い教科です。どこか一ヶ所が間違えていると、全て間違いになるのですから。おそらく数学が好きな方や得意な方なら瞬殺だったのではないでしょうか?
これを自分なりの証明にまとめてみました。
こんな感じでこれからも数学について載せていけたらなと思います。
2CELLOS 『影武者』 [曲]
僕は2CELLOSの『影武者』という曲を聴きました。
その名の通り、Luka Šulić(ルカ・スーリッチ)とStjepan Hauser(ステファン・ハウザー)によるチェロのデュオです。スーリッチはスロベニア、ハウザーはクロアチア出身です。マイケルジャクソンの『Smooth Criminal』まで手掛けている人気アーティストです。この前は、ミュージックステーションや朝の番組などにも出演し、日本でも有名です。CMに出たことで人気が高まったとも言われています。
曲もなかなかだと思います。是非、上の動画を見てください。
その名の通り、Luka Šulić(ルカ・スーリッチ)とStjepan Hauser(ステファン・ハウザー)によるチェロのデュオです。スーリッチはスロベニア、ハウザーはクロアチア出身です。マイケルジャクソンの『Smooth Criminal』まで手掛けている人気アーティストです。この前は、ミュージックステーションや朝の番組などにも出演し、日本でも有名です。CMに出たことで人気が高まったとも言われています。
曲もなかなかだと思います。是非、上の動画を見てください。
第38回24時間テレビ『今日の日はさようなら』 24 HOUR TELEVISION, The 38th "Say goodbye to today" [見る]
『今日の日はさようなら』
皆様、ご存知ですか? これは2013年8月24~25日にかけて放送された24時間テレビのドラマスペシャルです。僕は21時頃から、23時過ぎにかけてこれを見ました。
上の予告動画通り、悪性リンパ腫におかされた、これまでなんとなく生きてきた耕太が病気になって初めて生死を見つめ直していく、感動物語です。
抗癌剤による治療は効果があまりなく、姉の血液をもらって(いわゆる移植)、一度は治癒したかに思われましたが、その後再発。そのときにはもう手が施せる状態ではなく、抗癌剤の治療を受けて、ほんの少しの希望を持つか、はたまたこのまま死を待つかの選択に迫られる耕太。そこで耕太は死を選び、自宅で緩和ケアを受けました。最後には自分で望んで緩和ケアの医師に管を外させ、臨終を迎えました。
皆様考えてみてください。皆様がこの病気になったとします。最初は治癒率80%と言われていたのに、どんどん下がっていって、最終的には20%くらいになりました。最初は5人に4人が治るのに、癌(悪性リンパ腫はリンパ球がおかされる、いわゆる血液の癌)というのは進行が早く、最後には5人に1人も生き残るかどうか、と医師に宣告されるのです。このように皆様が言われたら絶望に陥ると思います。このときの耕太の気持ちはやはりどんどん悪化して、最後には死ぬのかという「絶望」が含まれていたと思います。そんなことを考えながら見ているとこちらにも同情の念がわいてきます。
僕は最後の治療の望みか自分からの死かの決断のときの耕太の心情が複雑だと思いました。「どうせ、抗癌剤でまた治療しても治癒しない」ではなく、「俺なんか、死んだ方がいい」でもないと思います。耕太はこのドラマの中で「死ぬことは終わることじゃない」と語っています。だから、耕太はまた辛い治療に耐えるより、短い時間で幸せな生活をし、また自宅で安らかに逝きたいなと考えたのだと思います。その方が自分が生きた証が残せると思ったのでしょう。とても良いドラマだったと思います。
見逃してしまった方はDVDでも鑑賞することができます。
ついでに、24時間テレビのテーマ曲「サライ」もご視聴ください。
24時間マラソンの大島さんも無事ゴールできて、良かったです。今年も24時間テレビは大成功でした。
皆様、ご存知ですか? これは2013年8月24~25日にかけて放送された24時間テレビのドラマスペシャルです。僕は21時頃から、23時過ぎにかけてこれを見ました。
上の予告動画通り、悪性リンパ腫におかされた、これまでなんとなく生きてきた耕太が病気になって初めて生死を見つめ直していく、感動物語です。
抗癌剤による治療は効果があまりなく、姉の血液をもらって(いわゆる移植)、一度は治癒したかに思われましたが、その後再発。そのときにはもう手が施せる状態ではなく、抗癌剤の治療を受けて、ほんの少しの希望を持つか、はたまたこのまま死を待つかの選択に迫られる耕太。そこで耕太は死を選び、自宅で緩和ケアを受けました。最後には自分で望んで緩和ケアの医師に管を外させ、臨終を迎えました。
皆様考えてみてください。皆様がこの病気になったとします。最初は治癒率80%と言われていたのに、どんどん下がっていって、最終的には20%くらいになりました。最初は5人に4人が治るのに、癌(悪性リンパ腫はリンパ球がおかされる、いわゆる血液の癌)というのは進行が早く、最後には5人に1人も生き残るかどうか、と医師に宣告されるのです。このように皆様が言われたら絶望に陥ると思います。このときの耕太の気持ちはやはりどんどん悪化して、最後には死ぬのかという「絶望」が含まれていたと思います。そんなことを考えながら見ているとこちらにも同情の念がわいてきます。
僕は最後の治療の望みか自分からの死かの決断のときの耕太の心情が複雑だと思いました。「どうせ、抗癌剤でまた治療しても治癒しない」ではなく、「俺なんか、死んだ方がいい」でもないと思います。耕太はこのドラマの中で「死ぬことは終わることじゃない」と語っています。だから、耕太はまた辛い治療に耐えるより、短い時間で幸せな生活をし、また自宅で安らかに逝きたいなと考えたのだと思います。その方が自分が生きた証が残せると思ったのでしょう。とても良いドラマだったと思います。
見逃してしまった方はDVDでも鑑賞することができます。
ついでに、24時間テレビのテーマ曲「サライ」もご視聴ください。
24時間マラソンの大島さんも無事ゴールできて、良かったです。今年も24時間テレビは大成功でした。
古都、奈良・京都研修旅行 The School Trip to The Old Cities, Nara and Kyoto [行く]
僕は学校の研修旅行で2013年8月22~24日に奈良京都へ行きました。目的は、日本の歴史を学び、ふれあい、親しむということです。(こちらの記事では寺、神社などで撮影禁止の場所も多数あったため、ネット上の画像を引用することがあります。)
22日朝、東京駅に集合し、9時発の新幹線「のぞみ」で京都駅まで約2時間30分程度、到着11時30分程、そこからバスに乗り、まず法隆寺へ向かいました。この日はクラス単位の行動でした。晴れだったので良かったです。
法隆寺は皆様ご存知の通り、現存する日本最古の、いや、世界最古の木造建築です。ガイドさんの話を聞きながら散策しました。五重塔の迫力、さらに夢殿はすごかったです。
↑法隆寺五重塔
↑法隆寺夢殿
世界最古の木造建築ということで歴史的力を感じました。
続いて、薬師寺へ行きました。
そこではお坊さんの説法を聞きました。面白かったです。その後、寺内を散策しました。東塔は改修工事中で見られませんでしたが、西塔は見られました。
↑東塔
↑西塔
とても立派でした。その後も散策を続けました。
上の写真の建物の中には如来像がありました。お参りしてきました。薬師寺内のどこかで撮った写真も下に載せておきます。
そして次に東大寺へ行きました。ここの奈良公園で記念撮影をしました。そして東大寺内を見歩きました。
上の建物の中には大仏がいます。
大仏はすごく豪華に見えました。その迫力がまたすごかったです。金色がとても輝いていました。
奈良公園では鹿がたくさんいました。
鹿せんべいを友達から1枚もらい、あげました。あげたくなくても鹿は自分から寄ってきました。鹿せんべいだけでなく、落ち葉、紙など何でも食べてしまうので、ちょっと怖かったです。
そして、宿泊先である聖護院御殿荘へ行き夕食を食べ、少し遊び、寝ようとしたのですが、この日はあまり眠れませんでした。
23日、朝起きて朝食を食べました。そして出発の準備をしました。この日は班毎に分かれ、各班1人ずつガイドさんが付いて、それぞれの班の行きたいところへ連れて行ってくれました。僕の班のテーマは「パワースポット」でした。すべてがパワースポットかはどうであれ、行ったところは満足稲荷大社、伏見稲荷大社、二条城、広隆寺、龍安寺、金閣寺です。この日も晴れだったので暑かったですが、雨よりはましです。多いので小さなところは画像のみで済ませます。また、行ったところが6ヶ所と多かったので、【 】で区切ってお伝えします。
【満足稲荷大社】
触ると利口になる石がありました。
【伏見稲荷大社】
石段を上って、上の方まで行くと、鳥居が1000本程あるところへ着き、その先におもかる石がありました。この石を持って重いと感じると良くなく、軽いと感じると良いそうです。
【二条城】
二条城では、鴬張りという歩くと音が鳴る床がすごかったです。
上の写真の建物の中に鴬張りがありました。その後、中を散策して昼食をとりに行きました。
昼食をとるところの場所が分からず、僕の班は迷ってしまいましたが無事見つけられ、食べられました。
その後は広隆寺です。路面電車で行きました。
【広隆寺】
上の写真は広隆寺の門です。広隆寺といえばなんだと思いますか? ……弥勒菩薩像です。
中宮寺の弥勒菩薩像も類似です。お土産に置き物を買ってしまいました。後で載せます。
【龍安寺】
龍安寺は石庭とそこの枯山水が有名です。
上の写真の石庭の白い石に模様や波紋をつけることで、水がないのにあるように見せる枯山水を表現しています。
この龍安寺はすぐに引き上げて、金閣寺へ向かいました。
【金閣寺】
金閣寺は僕が最も印象に残った寺です。
この金色の表面を見たとき、僕は感動しました。よく作ったなと思いました。金箔の輝きが帰ってきた今でも僕の目に焼きついています。これまたお土産に置き物を買ってしまいました。別名鹿苑寺ともいいます。
その後、聖護院御殿荘へ戻りました。このときで、16時30分前です。風呂に入って、夕食を食べて、トランプなどで遊びました。この日はよく眠れました。
24日、最終日、この日は班行動ではなく22日と同じようにクラス単位の行動です。まず、バスで銀閣寺へ行きました。天気はあいにくの雨時々曇。
銀閣寺は金閣寺と比べると豪華さには欠けましたが、迫力はありました。銀閣寺の別名は慈照寺です。一回りしたらすぐにバスで清水寺へ向かいました。
そして清水寺に到着しました。ここでは記念撮影がありました。先に寺内を歩き、その後、お土産を買いました。寺内ではあの有名な写真が撮れました。
そして歩いていくと、音羽の滝がありましたが、混んでいたので飲みませんでした。この音羽の滝は“清水”を意味し、これが清水寺の名前の由来でもあります。これは、3本ヒョロヒョロと出ていて、黄金水、延命水などとご利益がそれぞれ決まっており、どれかを一口飲むとそれが叶い、多く飲むと逆に叶わないといわれています。
お土産は実は23日の夜に旅館でも買いました。まずはそちらから載せます。
↑金閣寺&五重塔の置き物
↑八ツ橋「聖」
↑八ツ橋「もも」
続いてここ清水寺で買ったお土産です。
↑京ばぁむ(抹茶味のバームクーヘン)
↑京のお団子詰め合わせ
↑宇治抹茶ゴーフレッド
↑弥勒菩薩像の置き物
ここで11時40分から昼食をとり、その後、三十三間堂へ行きました。
そしてそこへ到着しました。ここにはたくさんの観音様が並んでいて、気持ち悪いくらいでした。
23日の班行動のときのガイドさんが、真ん中の大きな観音様は作られた当時の偉い人が頭痛に悩まされていたということでドクロを持っているということを言っていたので、見てみました。そうしたら、本当に持っていました。
上の写真で見えますか? 右側です。探してみてください。
これが終わり、ついに帰宅です。京都駅へ向かいました。そして京都駅を13時30分頃発の新幹線「ひかり」で17時15分頃東京に着きました。そして家へ帰りました。
僕はこの研修旅行で日本の歴史の長さ、文化の美しさを学びました。そして、それを作り上げてきた人たちについても学びました。これからも日本の歴史について考えていこうと思いました。
22日朝、東京駅に集合し、9時発の新幹線「のぞみ」で京都駅まで約2時間30分程度、到着11時30分程、そこからバスに乗り、まず法隆寺へ向かいました。この日はクラス単位の行動でした。晴れだったので良かったです。
法隆寺は皆様ご存知の通り、現存する日本最古の、いや、世界最古の木造建築です。ガイドさんの話を聞きながら散策しました。五重塔の迫力、さらに夢殿はすごかったです。
↑法隆寺五重塔
↑法隆寺夢殿
世界最古の木造建築ということで歴史的力を感じました。
続いて、薬師寺へ行きました。
そこではお坊さんの説法を聞きました。面白かったです。その後、寺内を散策しました。東塔は改修工事中で見られませんでしたが、西塔は見られました。
↑東塔
↑西塔
とても立派でした。その後も散策を続けました。
上の写真の建物の中には如来像がありました。お参りしてきました。薬師寺内のどこかで撮った写真も下に載せておきます。
そして次に東大寺へ行きました。ここの奈良公園で記念撮影をしました。そして東大寺内を見歩きました。
上の建物の中には大仏がいます。
大仏はすごく豪華に見えました。その迫力がまたすごかったです。金色がとても輝いていました。
奈良公園では鹿がたくさんいました。
鹿せんべいを友達から1枚もらい、あげました。あげたくなくても鹿は自分から寄ってきました。鹿せんべいだけでなく、落ち葉、紙など何でも食べてしまうので、ちょっと怖かったです。
そして、宿泊先である聖護院御殿荘へ行き夕食を食べ、少し遊び、寝ようとしたのですが、この日はあまり眠れませんでした。
23日、朝起きて朝食を食べました。そして出発の準備をしました。この日は班毎に分かれ、各班1人ずつガイドさんが付いて、それぞれの班の行きたいところへ連れて行ってくれました。僕の班のテーマは「パワースポット」でした。すべてがパワースポットかはどうであれ、行ったところは満足稲荷大社、伏見稲荷大社、二条城、広隆寺、龍安寺、金閣寺です。この日も晴れだったので暑かったですが、雨よりはましです。多いので小さなところは画像のみで済ませます。また、行ったところが6ヶ所と多かったので、【 】で区切ってお伝えします。
【満足稲荷大社】
触ると利口になる石がありました。
【伏見稲荷大社】
石段を上って、上の方まで行くと、鳥居が1000本程あるところへ着き、その先におもかる石がありました。この石を持って重いと感じると良くなく、軽いと感じると良いそうです。
【二条城】
二条城では、鴬張りという歩くと音が鳴る床がすごかったです。
上の写真の建物の中に鴬張りがありました。その後、中を散策して昼食をとりに行きました。
昼食をとるところの場所が分からず、僕の班は迷ってしまいましたが無事見つけられ、食べられました。
その後は広隆寺です。路面電車で行きました。
【広隆寺】
上の写真は広隆寺の門です。広隆寺といえばなんだと思いますか? ……弥勒菩薩像です。
中宮寺の弥勒菩薩像も類似です。お土産に置き物を買ってしまいました。後で載せます。
【龍安寺】
龍安寺は石庭とそこの枯山水が有名です。
上の写真の石庭の白い石に模様や波紋をつけることで、水がないのにあるように見せる枯山水を表現しています。
この龍安寺はすぐに引き上げて、金閣寺へ向かいました。
【金閣寺】
金閣寺は僕が最も印象に残った寺です。
この金色の表面を見たとき、僕は感動しました。よく作ったなと思いました。金箔の輝きが帰ってきた今でも僕の目に焼きついています。これまたお土産に置き物を買ってしまいました。別名鹿苑寺ともいいます。
その後、聖護院御殿荘へ戻りました。このときで、16時30分前です。風呂に入って、夕食を食べて、トランプなどで遊びました。この日はよく眠れました。
24日、最終日、この日は班行動ではなく22日と同じようにクラス単位の行動です。まず、バスで銀閣寺へ行きました。天気はあいにくの雨時々曇。
銀閣寺は金閣寺と比べると豪華さには欠けましたが、迫力はありました。銀閣寺の別名は慈照寺です。一回りしたらすぐにバスで清水寺へ向かいました。
そして清水寺に到着しました。ここでは記念撮影がありました。先に寺内を歩き、その後、お土産を買いました。寺内ではあの有名な写真が撮れました。
そして歩いていくと、音羽の滝がありましたが、混んでいたので飲みませんでした。この音羽の滝は“清水”を意味し、これが清水寺の名前の由来でもあります。これは、3本ヒョロヒョロと出ていて、黄金水、延命水などとご利益がそれぞれ決まっており、どれかを一口飲むとそれが叶い、多く飲むと逆に叶わないといわれています。
お土産は実は23日の夜に旅館でも買いました。まずはそちらから載せます。
↑金閣寺&五重塔の置き物
↑八ツ橋「聖」
↑八ツ橋「もも」
続いてここ清水寺で買ったお土産です。
↑京ばぁむ(抹茶味のバームクーヘン)
↑京のお団子詰め合わせ
↑宇治抹茶ゴーフレッド
↑弥勒菩薩像の置き物
ここで11時40分から昼食をとり、その後、三十三間堂へ行きました。
そしてそこへ到着しました。ここにはたくさんの観音様が並んでいて、気持ち悪いくらいでした。
23日の班行動のときのガイドさんが、真ん中の大きな観音様は作られた当時の偉い人が頭痛に悩まされていたということでドクロを持っているということを言っていたので、見てみました。そうしたら、本当に持っていました。
上の写真で見えますか? 右側です。探してみてください。
これが終わり、ついに帰宅です。京都駅へ向かいました。そして京都駅を13時30分頃発の新幹線「ひかり」で17時15分頃東京に着きました。そして家へ帰りました。
僕はこの研修旅行で日本の歴史の長さ、文化の美しさを学びました。そして、それを作り上げてきた人たちについても学びました。これからも日本の歴史について考えていこうと思いました。
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