The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 5th Day and the 6th Day [行く]
(前の記事からの続きです。見たい方はこちらをクリックして下さい。)
5日目の22日、この日は6時起床、7時朝食、8時30分ホテル発で、ミケランジェロ広場へ行きました。そこからの眺めがとても綺麗でした。ここではクラス写真も撮影しました。
その後、約90km離れたピサへ行きました。
ここで有名なのは、皆様お察しの通り、ピサの斜塔です。
ピサの斜塔がある広場的な部分は、こんな感じでした。
そして、これが有名なピサの斜塔です。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453tだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の恐れがあったがその後の処置により、当分問題ないと判断されています。5.5度傾いていたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に留まっています。 かつてガリレオがピサの斜塔の上から物体を落とす実験をしたことでも有名です。ピサの斜塔は結構有名だと思うので、見ることができて嬉しかったです。本当に倒れてこないのか心配になりました。
その後、ドゥオモ、洗礼堂の内部に入りました。
ドゥオモ内の写真です。
これは誰か有名な人が作った電球だそうですが、忘れました。
誰かの墓もありました。
続いて洗礼堂です。
この洗礼堂の内部です。
写真を見ただけで見受けられるとは思いますが、結構響きます。30分毎に声の良い人がその音響効果を試してくれます。実際、それを聞きました。案の定、すごく響いていました。綺麗というか幻想的というか、そんなような声でした。
この後数十分間、自由行動がありました。
その後12時、レストランで昼食をとりました。そして13時30分、300km先のパドヴァへバスで移動しました。
約4時間30分後、パドヴァのホテルに到着しました。よってホテル着は18時です。
この日は19時夕食、22時点呼・就寝でした。
6日目の23日は6時起床、7時15分朝食、8時45分ホテル発。そして40km先のヴェネツィアへ行きました。9時30分にヴェネツィアに到着しました。
その後10時頃、水上バスで移動しました。水の都だけに、水絡みが多いです。
↑水上バスからの眺めが綺麗でした。
到着した船着き場の辺りから見えました。まさにイタリアという感じですね。
その後、ヴェネツィア市内を見学しました。
最初に、サンマルコ広場に行きました。
結構広かったです。その後は、サンマルコ寺院へ行きました。ここは撮影禁止だったので、外観だけです。
そして、リアルト橋へと向かいました。
橋の上からの眺めが綺麗でした。
そして、橋を渡り、橋の写真を撮りました。
日本にはないような形の橋でした。
その後、ドゥカーレ宮殿内を見学しました。
内部の画像をご覧下さい。
宮殿の窓からの眺めが綺麗だったので、撮影しました。
宮殿が収容所だか刑務所だかに繋がっていたので、そちらにも入りました。ドアなどは高さが低く、屈まないと通れないほどでした。
こんなところに入れられたら、たまったもんじゃありませんね。
そして、ヴェネツィアングラスの工房へ行きました。
非常に熱いガラスの溶けたものを職人の早業でコップなどの形にしていきます。鮮やかな色は炎色反応によるもので、赤は金を使っているのでそれだけ値段が高めです。また、蛍光灯にあてると色が変わるものもありました。僕は90ユーロも出してお猪口2点セットを買いました。その写真は次の記事のお土産にまとめて載せるつもりです。一応、ベネチアングラスの画像を載せておきます。
そして、12時30分を回り、班毎に自由時間、たっぷりと16時までです。
↑眺めがヴェネツィアという感じでした。
昼食はレストランで本場マルゲリータを食べました。本場の味がして、美味しかったです。その後はお土産を買ったりしていました。実は、この日はヴェネツィアは生憎の雨天で、雨がしとしと降ったりやんだりを繰り返していました。しかし、この自由行動の際に、土砂降りの雨が降ってきました。水の都だからでしょうか? 本当に水絡みが多いんだなと思いました。前の学年は、ヴェネツィアで有名なゴンドラに乗るのを許されていたのですが、我々は残念ながら許可が下りませんでした。一応写真だけで雰囲気を出しておきます。
これに乗ればヴェネツィアという感じでしたが・・・。
自由行動時間は長すぎるくらいでしたが、やっと終わり、また水上バスで引き換えし、17時にはヴェネツィアを出発しました。ホテルに着いたのは17時30分。その後、18時30分に夕食、21時30分就寝でした。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① レストランでは自分が食べた机の上に代金を置いていきます。レジみたいなところがあるわけではありません。
② イタリアはスリ(ジプシーなど)が多いといわれているが、普通にしていれば大丈夫です。
③ ホテルはオートロックかつカードキーです。カードキーで開ける方法が難しいホテルもありました。
④ アフリカ人らしき人が路上で売っているカバンなどは偽ブランドらしいです。
⑤ちゃんとした屋台っぽい露店でしか物は買わない方が良いです。投げると広がってまた元に戻るおもちゃ(ボールのようなもの)を買った人がいましたが、4時間で壊れました。安物かつ不良品です。
⑥ 露天商で買うかと聞かれ、Noと言うとChineseと言ってきます。
ではGrazie! Addio!
5日目の22日、この日は6時起床、7時朝食、8時30分ホテル発で、ミケランジェロ広場へ行きました。そこからの眺めがとても綺麗でした。ここではクラス写真も撮影しました。
その後、約90km離れたピサへ行きました。
ここで有名なのは、皆様お察しの通り、ピサの斜塔です。
ピサの斜塔がある広場的な部分は、こんな感じでした。
そして、これが有名なピサの斜塔です。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453tだそうです。一時傾斜の増大と倒壊の恐れがあったがその後の処置により、当分問題ないと判断されています。5.5度傾いていたが、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に留まっています。 かつてガリレオがピサの斜塔の上から物体を落とす実験をしたことでも有名です。ピサの斜塔は結構有名だと思うので、見ることができて嬉しかったです。本当に倒れてこないのか心配になりました。
その後、ドゥオモ、洗礼堂の内部に入りました。
ドゥオモ内の写真です。
これは誰か有名な人が作った電球だそうですが、忘れました。
誰かの墓もありました。
続いて洗礼堂です。
この洗礼堂の内部です。
写真を見ただけで見受けられるとは思いますが、結構響きます。30分毎に声の良い人がその音響効果を試してくれます。実際、それを聞きました。案の定、すごく響いていました。綺麗というか幻想的というか、そんなような声でした。
この後数十分間、自由行動がありました。
その後12時、レストランで昼食をとりました。そして13時30分、300km先のパドヴァへバスで移動しました。
約4時間30分後、パドヴァのホテルに到着しました。よってホテル着は18時です。
この日は19時夕食、22時点呼・就寝でした。
6日目の23日は6時起床、7時15分朝食、8時45分ホテル発。そして40km先のヴェネツィアへ行きました。9時30分にヴェネツィアに到着しました。
その後10時頃、水上バスで移動しました。水の都だけに、水絡みが多いです。
↑水上バスからの眺めが綺麗でした。
到着した船着き場の辺りから見えました。まさにイタリアという感じですね。
その後、ヴェネツィア市内を見学しました。
最初に、サンマルコ広場に行きました。
結構広かったです。その後は、サンマルコ寺院へ行きました。ここは撮影禁止だったので、外観だけです。
そして、リアルト橋へと向かいました。
橋の上からの眺めが綺麗でした。
そして、橋を渡り、橋の写真を撮りました。
日本にはないような形の橋でした。
その後、ドゥカーレ宮殿内を見学しました。
内部の画像をご覧下さい。
宮殿の窓からの眺めが綺麗だったので、撮影しました。
宮殿が収容所だか刑務所だかに繋がっていたので、そちらにも入りました。ドアなどは高さが低く、屈まないと通れないほどでした。
こんなところに入れられたら、たまったもんじゃありませんね。
そして、ヴェネツィアングラスの工房へ行きました。
非常に熱いガラスの溶けたものを職人の早業でコップなどの形にしていきます。鮮やかな色は炎色反応によるもので、赤は金を使っているのでそれだけ値段が高めです。また、蛍光灯にあてると色が変わるものもありました。僕は90ユーロも出してお猪口2点セットを買いました。その写真は次の記事のお土産にまとめて載せるつもりです。一応、ベネチアングラスの画像を載せておきます。
そして、12時30分を回り、班毎に自由時間、たっぷりと16時までです。
↑眺めがヴェネツィアという感じでした。
昼食はレストランで本場マルゲリータを食べました。本場の味がして、美味しかったです。その後はお土産を買ったりしていました。実は、この日はヴェネツィアは生憎の雨天で、雨がしとしと降ったりやんだりを繰り返していました。しかし、この自由行動の際に、土砂降りの雨が降ってきました。水の都だからでしょうか? 本当に水絡みが多いんだなと思いました。前の学年は、ヴェネツィアで有名なゴンドラに乗るのを許されていたのですが、我々は残念ながら許可が下りませんでした。一応写真だけで雰囲気を出しておきます。
これに乗ればヴェネツィアという感じでしたが・・・。
自由行動時間は長すぎるくらいでしたが、やっと終わり、また水上バスで引き換えし、17時にはヴェネツィアを出発しました。ホテルに着いたのは17時30分。その後、18時30分に夕食、21時30分就寝でした。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① レストランでは自分が食べた机の上に代金を置いていきます。レジみたいなところがあるわけではありません。
② イタリアはスリ(ジプシーなど)が多いといわれているが、普通にしていれば大丈夫です。
③ ホテルはオートロックかつカードキーです。カードキーで開ける方法が難しいホテルもありました。
④ アフリカ人らしき人が路上で売っているカバンなどは偽ブランドらしいです。
⑤ちゃんとした屋台っぽい露店でしか物は買わない方が良いです。投げると広がってまた元に戻るおもちゃ(ボールのようなもの)を買った人がいましたが、4時間で壊れました。安物かつ不良品です。
⑥ 露天商で買うかと聞かれ、Noと言うとChineseと言ってきます。
ではGrazie! Addio!
The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 3rd Day and the 4th Day [行く]
(前の記事からの続きです。見たい方はこちらをクリックして下さい。)
3日目の20日、この日は5時30分起床、6時15分朝食。そしてホテルを移るので、スーツケースをまとめて、7時45分にホテル出発でした。そして、再びサンピエトロ大聖堂へ行き、今度はローマ法王の謁見式のために長蛇の列に並びました。8時過ぎくらいからだったでしょう。長時間並んだ後、セキュリティーチェックがあり、中へ入りました。謁見式会場はまさにキリスト教という感じでした。
そして数十分後、ローマ法王がやってきました。
他の観衆の興奮度は計り知れませんでした。皆、平和の象徴とも言えるローマ法王と握手したり、彼に抱きついたりしている人もいました。また、観衆の掛け声などもとても大きかったです。僕の学校の生徒もバンダナを振りながら、「VIVA PAPA!」というはずでしたが、名前が呼ばれなかったので言いませんでした。謁見式は結構1~2時間は続いていました。これで午前中の日程は終わりです。滅多に見る機会のないローマ法王を見ることができて良かったです。
レストランでの昼食後、ローマを発ち、バスでフィレンツェへ向かいました。この日は向かうだけでホテルに着いて普通に夕食、就寝が22時でした。
4日目の21日、この日はフィレンツェ市内を観光ました。
6時起床、7時朝食、7時45分ホテル出発。そしてバスで移動し、その後、ウフィッツィ美術館へ行きました。
ここには数多くの名画・彫刻が展示されていました。いくつか載せます。
↑これはプリマヴェーラという有名な絵画です。
↑ラファエロの自画像です。
さらに、この美術館から後に行くベッキオ橋が見えました。
他にも何か見えたので撮りました。
↑これはシニョーリア広場にありました。
その後、シニョーリア広場に行きました。
ここにはミケランジェロの有名な彫刻、ダヴィデ像がありました。
また、馬車もありました。
ここの広場沿いにある教会らしきところの内部の写真を載せます。
その後、町を歩いて、花の聖母教会へ行きました。
内部の画像です。
その後昼食のレストランへ行く途中での写真を載せます。
何か古い建物だそうですが、忘れました。
そして、レストランにて昼食をとりました。
その後、免税店に行きました。革製品を買いました。そして、サンジョバンニ大聖堂に行きました。
内部の写真を載せます。
ここでは昔の人のお墓があるらしく、棺桶のようなものも見受けられます。
その後、ベッキオ橋でない橋を渡り、道を歩いていると眺めが綺麗だったので、写真に撮りました。
そして、昔の誰かの邸宅へ行きました。
そして、ベッキオ橋を渡りました。そこからの眺めです。
とても綺麗でした。
その後、なんだか分からないけれど、イノシシの銅像を見ました。
その後、もう夕食です。レストランへ行きました。そして、ホテルに帰りました。この日は、就寝が21時と早かったです。これで3日目・4日目は終わりです。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① 風呂のシャワーにホースがありません。
② テレビ番組はドラマばかり。バラエティーなどほとんどありません。
③ ベッドメイキングのチップを置く必要があります。
④ 露天商が多いです。
⑤ 制服を着て集団で歩いていると、外国人に写真を撮られてしまいます。それほど珍しいのでしょうか?
⑥ イタリア人ウェイター・ウェイトレスは何かと雑です。まず、ローマのホテルでは、ジュースを注ぐ機械のジュースが濃かったり、薄かったり。また、皿の置き方が雑でした。また、食器が何かと汚れていることがありました。
Grazie, Ciao!
3日目の20日、この日は5時30分起床、6時15分朝食。そしてホテルを移るので、スーツケースをまとめて、7時45分にホテル出発でした。そして、再びサンピエトロ大聖堂へ行き、今度はローマ法王の謁見式のために長蛇の列に並びました。8時過ぎくらいからだったでしょう。長時間並んだ後、セキュリティーチェックがあり、中へ入りました。謁見式会場はまさにキリスト教という感じでした。
そして数十分後、ローマ法王がやってきました。
他の観衆の興奮度は計り知れませんでした。皆、平和の象徴とも言えるローマ法王と握手したり、彼に抱きついたりしている人もいました。また、観衆の掛け声などもとても大きかったです。僕の学校の生徒もバンダナを振りながら、「VIVA PAPA!」というはずでしたが、名前が呼ばれなかったので言いませんでした。謁見式は結構1~2時間は続いていました。これで午前中の日程は終わりです。滅多に見る機会のないローマ法王を見ることができて良かったです。
レストランでの昼食後、ローマを発ち、バスでフィレンツェへ向かいました。この日は向かうだけでホテルに着いて普通に夕食、就寝が22時でした。
4日目の21日、この日はフィレンツェ市内を観光ました。
6時起床、7時朝食、7時45分ホテル出発。そしてバスで移動し、その後、ウフィッツィ美術館へ行きました。
ここには数多くの名画・彫刻が展示されていました。いくつか載せます。
↑これはプリマヴェーラという有名な絵画です。
↑ラファエロの自画像です。
さらに、この美術館から後に行くベッキオ橋が見えました。
他にも何か見えたので撮りました。
↑これはシニョーリア広場にありました。
その後、シニョーリア広場に行きました。
ここにはミケランジェロの有名な彫刻、ダヴィデ像がありました。
また、馬車もありました。
ここの広場沿いにある教会らしきところの内部の写真を載せます。
その後、町を歩いて、花の聖母教会へ行きました。
内部の画像です。
その後昼食のレストランへ行く途中での写真を載せます。
何か古い建物だそうですが、忘れました。
そして、レストランにて昼食をとりました。
その後、免税店に行きました。革製品を買いました。そして、サンジョバンニ大聖堂に行きました。
内部の写真を載せます。
ここでは昔の人のお墓があるらしく、棺桶のようなものも見受けられます。
その後、ベッキオ橋でない橋を渡り、道を歩いていると眺めが綺麗だったので、写真に撮りました。
そして、昔の誰かの邸宅へ行きました。
そして、ベッキオ橋を渡りました。そこからの眺めです。
とても綺麗でした。
その後、なんだか分からないけれど、イノシシの銅像を見ました。
その後、もう夕食です。レストランへ行きました。そして、ホテルに帰りました。この日は、就寝が21時と早かったです。これで3日目・4日目は終わりです。
ここで、イタリアについて分かったことをまとめてみます。
① 風呂のシャワーにホースがありません。
② テレビ番組はドラマばかり。バラエティーなどほとんどありません。
③ ベッドメイキングのチップを置く必要があります。
④ 露天商が多いです。
⑤ 制服を着て集団で歩いていると、外国人に写真を撮られてしまいます。それほど珍しいのでしょうか?
⑥ イタリア人ウェイター・ウェイトレスは何かと雑です。まず、ローマのホテルでは、ジュースを注ぐ機械のジュースが濃かったり、薄かったり。また、皿の置き方が雑でした。また、食器が何かと汚れていることがありました。
Grazie, Ciao!
The School Trip to Italy in 2014 ~2014年イタリア研修旅行~ The 1st Day and the 2nd Day [行く]
僕は日本時間の2014年8月18~25日に学校のイタリア研修旅行(いわゆる修学旅行)に参加していました。その名の通り、イタリアへ行きました。
初日の18日、8時45分に京成上野駅に集合、その後10時3分成田空港へ到着しました。
そして出国手続きを行い、13時15分にアリタリア航空の便で成田空港を出発、イタリアのローマにあるフィウミチーノ空港へ12時間45分をかけて到着しました。機内食はあまり美味しくありませんでした。12時間もの長いフライトに耐えるのが辛かったです。飛行機からの眺めは綺麗な部分もありましたが、雲がいっぱいで真っ白な部分もありました。何しろ、高度10000mもの上空を飛んでいるのですから。着陸のときに気圧の変化により、耳が痛くならないように、鼻に薬をさしたところ、本当に痛くなりませんでした。
そしてローマへ到着しました。
現地時間で19時のことです。イタリアと日本の時差は7時間だったので、日本では19日の0時でした。ここからはイタリア時間で書いていきます。
入国手続きを終え、21時過ぎくらいにホテルに到着しました。22時に消灯しました。この日は当然の如く、何の観光もありませんでした。
2日目の19日、6時起床、7時15分朝食、8時45分にホテルを出発しました。この日はローマ市内を見学しました。
まずは、サンピエトロ大聖堂です。
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山です。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロのイタリア語読みに由来します。カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。床面積2万3,000m²です。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
内部にも入りました。
聖堂を出たところで、スイス衛兵を見かけました。
変わった服を着ていて、背も高く、恰好いいですね。
外に出た後、ガイドさんがある一点から見ると柱が揃って見えると教えてくれました。
その後、トレビの泉、スペイン広場へ向かいました。トレビの泉は水がなく、工事中という無残な姿だったので、インターネット上の画像を引用します。
トレビの泉にはこんな言い伝えがあります。後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶い、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされています。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りです。
僕は、トレビの泉でジェラートを食べました。
続いてスペイン広場です。
長い階段が有名で、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べた場所として有名だそうです。上からの眺めが綺麗でした。
ここでレストランでの昼食をはさみ、午後の観光に向かいました。
次は有名なコロッセオです。
中にも入りました。
コロッセオはローマ帝政期に造られた円形闘技場だそうです。
コロッセオを見た後はすぐ近くのフォロロマーノに行きました。
色々な遺跡がありました。
この日最後は、真実の口を見ました。
口に手を入れられることで有名です。
それがあった教会の内部の写真です。
そして、元のホテルへ戻り、夕食を食べて22時に消灯でした。夕食時に和田神父という現地の神父から30分程度のお話がありました。これは「愛すること」についての話でしたが、皆様が想像するような愛ではありませんでした。聖書の「愛」についてでした。
これで初日・2日目は終わりです。
ここで、イタリアについて気づいたことをいくつかまとめてみます。
① 水は有料です。
② イタリア人は声がでかい。
③ イタリアのホテルのテレビをつけるには、チャンネルと電源ボタンを同時に押さなければなりません。
Ciao!
初日の18日、8時45分に京成上野駅に集合、その後10時3分成田空港へ到着しました。
そして出国手続きを行い、13時15分にアリタリア航空の便で成田空港を出発、イタリアのローマにあるフィウミチーノ空港へ12時間45分をかけて到着しました。機内食はあまり美味しくありませんでした。12時間もの長いフライトに耐えるのが辛かったです。飛行機からの眺めは綺麗な部分もありましたが、雲がいっぱいで真っ白な部分もありました。何しろ、高度10000mもの上空を飛んでいるのですから。着陸のときに気圧の変化により、耳が痛くならないように、鼻に薬をさしたところ、本当に痛くなりませんでした。
そしてローマへ到着しました。
現地時間で19時のことです。イタリアと日本の時差は7時間だったので、日本では19日の0時でした。ここからはイタリア時間で書いていきます。
入国手続きを終え、21時過ぎくらいにホテルに到着しました。22時に消灯しました。この日は当然の如く、何の観光もありませんでした。
2日目の19日、6時起床、7時15分朝食、8時45分にホテルを出発しました。この日はローマ市内を見学しました。
まずは、サンピエトロ大聖堂です。
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山です。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロのイタリア語読みに由来します。カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。床面積2万3,000m²です。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
内部にも入りました。
聖堂を出たところで、スイス衛兵を見かけました。
変わった服を着ていて、背も高く、恰好いいですね。
外に出た後、ガイドさんがある一点から見ると柱が揃って見えると教えてくれました。
その後、トレビの泉、スペイン広場へ向かいました。トレビの泉は水がなく、工事中という無残な姿だったので、インターネット上の画像を引用します。
トレビの泉にはこんな言い伝えがあります。後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶い、投げるコインの枚数によって願いが異なるとされています。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りです。
僕は、トレビの泉でジェラートを食べました。
続いてスペイン広場です。
長い階段が有名で、映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べた場所として有名だそうです。上からの眺めが綺麗でした。
ここでレストランでの昼食をはさみ、午後の観光に向かいました。
次は有名なコロッセオです。
中にも入りました。
コロッセオはローマ帝政期に造られた円形闘技場だそうです。
コロッセオを見た後はすぐ近くのフォロロマーノに行きました。
色々な遺跡がありました。
この日最後は、真実の口を見ました。
口に手を入れられることで有名です。
それがあった教会の内部の写真です。
そして、元のホテルへ戻り、夕食を食べて22時に消灯でした。夕食時に和田神父という現地の神父から30分程度のお話がありました。これは「愛すること」についての話でしたが、皆様が想像するような愛ではありませんでした。聖書の「愛」についてでした。
これで初日・2日目は終わりです。
ここで、イタリアについて気づいたことをいくつかまとめてみます。
① 水は有料です。
② イタリア人は声がでかい。
③ イタリアのホテルのテレビをつけるには、チャンネルと電源ボタンを同時に押さなければなりません。
Ciao!
古都、奈良・京都研修旅行 The School Trip to The Old Cities, Nara and Kyoto [行く]
僕は学校の研修旅行で2013年8月22~24日に奈良京都へ行きました。目的は、日本の歴史を学び、ふれあい、親しむということです。(こちらの記事では寺、神社などで撮影禁止の場所も多数あったため、ネット上の画像を引用することがあります。)
22日朝、東京駅に集合し、9時発の新幹線「のぞみ」で京都駅まで約2時間30分程度、到着11時30分程、そこからバスに乗り、まず法隆寺へ向かいました。この日はクラス単位の行動でした。晴れだったので良かったです。
法隆寺は皆様ご存知の通り、現存する日本最古の、いや、世界最古の木造建築です。ガイドさんの話を聞きながら散策しました。五重塔の迫力、さらに夢殿はすごかったです。
↑法隆寺五重塔
↑法隆寺夢殿
世界最古の木造建築ということで歴史的力を感じました。
続いて、薬師寺へ行きました。
そこではお坊さんの説法を聞きました。面白かったです。その後、寺内を散策しました。東塔は改修工事中で見られませんでしたが、西塔は見られました。
↑東塔
↑西塔
とても立派でした。その後も散策を続けました。
上の写真の建物の中には如来像がありました。お参りしてきました。薬師寺内のどこかで撮った写真も下に載せておきます。
そして次に東大寺へ行きました。ここの奈良公園で記念撮影をしました。そして東大寺内を見歩きました。
上の建物の中には大仏がいます。
大仏はすごく豪華に見えました。その迫力がまたすごかったです。金色がとても輝いていました。
奈良公園では鹿がたくさんいました。
鹿せんべいを友達から1枚もらい、あげました。あげたくなくても鹿は自分から寄ってきました。鹿せんべいだけでなく、落ち葉、紙など何でも食べてしまうので、ちょっと怖かったです。
そして、宿泊先である聖護院御殿荘へ行き夕食を食べ、少し遊び、寝ようとしたのですが、この日はあまり眠れませんでした。
23日、朝起きて朝食を食べました。そして出発の準備をしました。この日は班毎に分かれ、各班1人ずつガイドさんが付いて、それぞれの班の行きたいところへ連れて行ってくれました。僕の班のテーマは「パワースポット」でした。すべてがパワースポットかはどうであれ、行ったところは満足稲荷大社、伏見稲荷大社、二条城、広隆寺、龍安寺、金閣寺です。この日も晴れだったので暑かったですが、雨よりはましです。多いので小さなところは画像のみで済ませます。また、行ったところが6ヶ所と多かったので、【 】で区切ってお伝えします。
【満足稲荷大社】
触ると利口になる石がありました。
【伏見稲荷大社】
石段を上って、上の方まで行くと、鳥居が1000本程あるところへ着き、その先におもかる石がありました。この石を持って重いと感じると良くなく、軽いと感じると良いそうです。
【二条城】
二条城では、鴬張りという歩くと音が鳴る床がすごかったです。
上の写真の建物の中に鴬張りがありました。その後、中を散策して昼食をとりに行きました。
昼食をとるところの場所が分からず、僕の班は迷ってしまいましたが無事見つけられ、食べられました。
その後は広隆寺です。路面電車で行きました。
【広隆寺】
上の写真は広隆寺の門です。広隆寺といえばなんだと思いますか? ……弥勒菩薩像です。
中宮寺の弥勒菩薩像も類似です。お土産に置き物を買ってしまいました。後で載せます。
【龍安寺】
龍安寺は石庭とそこの枯山水が有名です。
上の写真の石庭の白い石に模様や波紋をつけることで、水がないのにあるように見せる枯山水を表現しています。
この龍安寺はすぐに引き上げて、金閣寺へ向かいました。
【金閣寺】
金閣寺は僕が最も印象に残った寺です。
この金色の表面を見たとき、僕は感動しました。よく作ったなと思いました。金箔の輝きが帰ってきた今でも僕の目に焼きついています。これまたお土産に置き物を買ってしまいました。別名鹿苑寺ともいいます。
その後、聖護院御殿荘へ戻りました。このときで、16時30分前です。風呂に入って、夕食を食べて、トランプなどで遊びました。この日はよく眠れました。
24日、最終日、この日は班行動ではなく22日と同じようにクラス単位の行動です。まず、バスで銀閣寺へ行きました。天気はあいにくの雨時々曇。
銀閣寺は金閣寺と比べると豪華さには欠けましたが、迫力はありました。銀閣寺の別名は慈照寺です。一回りしたらすぐにバスで清水寺へ向かいました。
そして清水寺に到着しました。ここでは記念撮影がありました。先に寺内を歩き、その後、お土産を買いました。寺内ではあの有名な写真が撮れました。
そして歩いていくと、音羽の滝がありましたが、混んでいたので飲みませんでした。この音羽の滝は“清水”を意味し、これが清水寺の名前の由来でもあります。これは、3本ヒョロヒョロと出ていて、黄金水、延命水などとご利益がそれぞれ決まっており、どれかを一口飲むとそれが叶い、多く飲むと逆に叶わないといわれています。
お土産は実は23日の夜に旅館でも買いました。まずはそちらから載せます。
↑金閣寺&五重塔の置き物
↑八ツ橋「聖」
↑八ツ橋「もも」
続いてここ清水寺で買ったお土産です。
↑京ばぁむ(抹茶味のバームクーヘン)
↑京のお団子詰め合わせ
↑宇治抹茶ゴーフレッド
↑弥勒菩薩像の置き物
ここで11時40分から昼食をとり、その後、三十三間堂へ行きました。
そしてそこへ到着しました。ここにはたくさんの観音様が並んでいて、気持ち悪いくらいでした。
23日の班行動のときのガイドさんが、真ん中の大きな観音様は作られた当時の偉い人が頭痛に悩まされていたということでドクロを持っているということを言っていたので、見てみました。そうしたら、本当に持っていました。
上の写真で見えますか? 右側です。探してみてください。
これが終わり、ついに帰宅です。京都駅へ向かいました。そして京都駅を13時30分頃発の新幹線「ひかり」で17時15分頃東京に着きました。そして家へ帰りました。
僕はこの研修旅行で日本の歴史の長さ、文化の美しさを学びました。そして、それを作り上げてきた人たちについても学びました。これからも日本の歴史について考えていこうと思いました。
22日朝、東京駅に集合し、9時発の新幹線「のぞみ」で京都駅まで約2時間30分程度、到着11時30分程、そこからバスに乗り、まず法隆寺へ向かいました。この日はクラス単位の行動でした。晴れだったので良かったです。
法隆寺は皆様ご存知の通り、現存する日本最古の、いや、世界最古の木造建築です。ガイドさんの話を聞きながら散策しました。五重塔の迫力、さらに夢殿はすごかったです。
↑法隆寺五重塔
↑法隆寺夢殿
世界最古の木造建築ということで歴史的力を感じました。
続いて、薬師寺へ行きました。
そこではお坊さんの説法を聞きました。面白かったです。その後、寺内を散策しました。東塔は改修工事中で見られませんでしたが、西塔は見られました。
↑東塔
↑西塔
とても立派でした。その後も散策を続けました。
上の写真の建物の中には如来像がありました。お参りしてきました。薬師寺内のどこかで撮った写真も下に載せておきます。
そして次に東大寺へ行きました。ここの奈良公園で記念撮影をしました。そして東大寺内を見歩きました。
上の建物の中には大仏がいます。
大仏はすごく豪華に見えました。その迫力がまたすごかったです。金色がとても輝いていました。
奈良公園では鹿がたくさんいました。
鹿せんべいを友達から1枚もらい、あげました。あげたくなくても鹿は自分から寄ってきました。鹿せんべいだけでなく、落ち葉、紙など何でも食べてしまうので、ちょっと怖かったです。
そして、宿泊先である聖護院御殿荘へ行き夕食を食べ、少し遊び、寝ようとしたのですが、この日はあまり眠れませんでした。
23日、朝起きて朝食を食べました。そして出発の準備をしました。この日は班毎に分かれ、各班1人ずつガイドさんが付いて、それぞれの班の行きたいところへ連れて行ってくれました。僕の班のテーマは「パワースポット」でした。すべてがパワースポットかはどうであれ、行ったところは満足稲荷大社、伏見稲荷大社、二条城、広隆寺、龍安寺、金閣寺です。この日も晴れだったので暑かったですが、雨よりはましです。多いので小さなところは画像のみで済ませます。また、行ったところが6ヶ所と多かったので、【 】で区切ってお伝えします。
【満足稲荷大社】
触ると利口になる石がありました。
【伏見稲荷大社】
石段を上って、上の方まで行くと、鳥居が1000本程あるところへ着き、その先におもかる石がありました。この石を持って重いと感じると良くなく、軽いと感じると良いそうです。
【二条城】
二条城では、鴬張りという歩くと音が鳴る床がすごかったです。
上の写真の建物の中に鴬張りがありました。その後、中を散策して昼食をとりに行きました。
昼食をとるところの場所が分からず、僕の班は迷ってしまいましたが無事見つけられ、食べられました。
その後は広隆寺です。路面電車で行きました。
【広隆寺】
上の写真は広隆寺の門です。広隆寺といえばなんだと思いますか? ……弥勒菩薩像です。
中宮寺の弥勒菩薩像も類似です。お土産に置き物を買ってしまいました。後で載せます。
【龍安寺】
龍安寺は石庭とそこの枯山水が有名です。
上の写真の石庭の白い石に模様や波紋をつけることで、水がないのにあるように見せる枯山水を表現しています。
この龍安寺はすぐに引き上げて、金閣寺へ向かいました。
【金閣寺】
金閣寺は僕が最も印象に残った寺です。
この金色の表面を見たとき、僕は感動しました。よく作ったなと思いました。金箔の輝きが帰ってきた今でも僕の目に焼きついています。これまたお土産に置き物を買ってしまいました。別名鹿苑寺ともいいます。
その後、聖護院御殿荘へ戻りました。このときで、16時30分前です。風呂に入って、夕食を食べて、トランプなどで遊びました。この日はよく眠れました。
24日、最終日、この日は班行動ではなく22日と同じようにクラス単位の行動です。まず、バスで銀閣寺へ行きました。天気はあいにくの雨時々曇。
銀閣寺は金閣寺と比べると豪華さには欠けましたが、迫力はありました。銀閣寺の別名は慈照寺です。一回りしたらすぐにバスで清水寺へ向かいました。
そして清水寺に到着しました。ここでは記念撮影がありました。先に寺内を歩き、その後、お土産を買いました。寺内ではあの有名な写真が撮れました。
そして歩いていくと、音羽の滝がありましたが、混んでいたので飲みませんでした。この音羽の滝は“清水”を意味し、これが清水寺の名前の由来でもあります。これは、3本ヒョロヒョロと出ていて、黄金水、延命水などとご利益がそれぞれ決まっており、どれかを一口飲むとそれが叶い、多く飲むと逆に叶わないといわれています。
お土産は実は23日の夜に旅館でも買いました。まずはそちらから載せます。
↑金閣寺&五重塔の置き物
↑八ツ橋「聖」
↑八ツ橋「もも」
続いてここ清水寺で買ったお土産です。
↑京ばぁむ(抹茶味のバームクーヘン)
↑京のお団子詰め合わせ
↑宇治抹茶ゴーフレッド
↑弥勒菩薩像の置き物
ここで11時40分から昼食をとり、その後、三十三間堂へ行きました。
そしてそこへ到着しました。ここにはたくさんの観音様が並んでいて、気持ち悪いくらいでした。
23日の班行動のときのガイドさんが、真ん中の大きな観音様は作られた当時の偉い人が頭痛に悩まされていたということでドクロを持っているということを言っていたので、見てみました。そうしたら、本当に持っていました。
上の写真で見えますか? 右側です。探してみてください。
これが終わり、ついに帰宅です。京都駅へ向かいました。そして京都駅を13時30分頃発の新幹線「ひかり」で17時15分頃東京に着きました。そして家へ帰りました。
僕はこの研修旅行で日本の歴史の長さ、文化の美しさを学びました。そして、それを作り上げてきた人たちについても学びました。これからも日本の歴史について考えていこうと思いました。
夏休み! いざ秋田県へ! in 2013 [行く]
僕は2013年8月3日~10日までの約1週間、父母と秋田県の祖母の家へ行きました(祖父は今年の4月に亡くなったため「祖母の家」としておきます)。車で行きました。行くときは、蔵王で一泊して行きました。蔵王ではお釜を見に行きました。
大きな地図で見る
実は上の画像は僕が撮影したものではありません。3日にお釜を見に行ったときは、天気があまり良くなかったため、お釜が雲で見えるか見えないかという感じでした。少し残念でした。お釜に行く前にコマクサを見ました。
僕にはこのとき思いました。「なんだか夏に高地へ来ると『ギー』という音がするな~。この音は虫かな、蝉かな?」 それで、僕は自宅へ戻ってから検索してみました。そうしたら、その音の主はエゾゼミだそうです。やはり蝉でした。エゾゼミは「蝦夷(北海道)」というくらいですから、高地のような寒いところに生息するそうです。鳴き声だけ文字で表されてもよく分からないと思うので動画を載せます。虫が苦手な方は見ないで下へ進んでください。
↑映像に出ている蝉がエゾゼミです。
話を戻します。
旅館の夕食はすき焼きでした。旅館ではこのエゾゼミの鳴き声のほかにヒグラシの鳴き声も聞こえました。ヒグラシも蝉です。明け方、夕方に鳴くため、漢字では「日暮」とも書くそうです。よく映画やドラマでも聞こえてきます。夏の終わりというのを感じます。この蝉の鳴き声の動画も参考までに載せて置きます。
↑映像に出ている蝉がヒグラシです。
本当に話を戻します。
旅館で泊まった後、秋田県へ日本海側を通って向かいました。途中、道の駅でメロンを買って行きました。そして秋田県の能代市のとある町の祖母の家へ向かいました。実はこの4日は、大型シャチ灯籠の祭りがありました。聞いてもよく分からないと思いますので、百聞は一見に如かずということで写真をどうぞ!
写真の一番左のシャチ灯籠の祭りが例年行われています。これはいつも6、7日に行われます。それは後ほど。この真ん中の背の高いシャチ灯籠は今年より始まったものです。皆様お気付きかも知れませんが、この道には電線がありません。これは一番左のシャチ灯籠のいわゆる原点であり、今年、この背が高くて電線があるとぶつかってしまう明治時代頃の元祖大型シャチ灯籠を復元したことの証なのです。3、4日の2日間で行われましたが、僕は4日のみ見ました。高さは17mと随分高いのです。左の現代のシャチ灯籠と比べると2倍以上あります。この大型シャチ灯籠は「天空の不夜城」とも呼ばれています。このシャチ灯籠は市民を楽しませてくれました。来年もこれは行われる予定なので、期待したいと思います。
5日は何もありませんでした。確か、祖母を父が車に乗せて僕も一緒にお世話になった方にお礼の品を渡しに行ったような気がします。あまりイベントのない日でした。
6日はまず、4月に亡くなった祖父の納骨が行われました。お坊さんにお経を読んでもらった後、祖父は土に帰りました。
そして例年通り、能代役七夕が行われました。
夕方頃から祭り参加者はこのシャチ灯籠を引っ張って町を練り歩き、9時頃まで祭りは続きました。シャチ灯籠は練り歩く間、明るい囃子に包まれていました。夜になるとシャチ灯籠は一層綺麗さを増します。写真は解散直前の写真です。2台のシャチ灯籠が並び、とても美しかったです。今年は2回も家の前を通ってくれたので、よく堪能できました。
7日はまず、父と秋田駒ヶ岳に行きました。朝4時頃車で家を出て、2時間30分くらいで到着しました。駐車場からシャトルバスで8合目(標高1305m)まで行き、登り始めました。
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まず、男岳(標高1623m)へ登り、次に男女岳(標高1637m)、最後に横岳(標高1583m)に登って下山しました。女岳(標高1512m)という山もありましたが、登りませんでした。横岳に登る途中もコマクサが咲いていました。
↑男岳山頂
↑男女岳
↑横岳
↑男女岳登山道からの阿弥陀池(霞がひどかったです)
登山経路としては次の通りです。
↑青→緑→橙→赤→黄緑の順で歩きました
午後1時前にはもう下山し終わっていました。温泉に入って、その後田沢湖の畔へ行き、田沢湖を見ました。辰子姫(像)は見ませんでしたが、写真は載せておきます。
とても疲れましたがまあまあ楽しかったです。
夕方からは昨日の祭りの続きです。この日は台の部分はなく、シャチの部分のみで町を練り歩きます。理由は、夜8時30分からこのシャチ灯籠を燃やしてしまうからです。シャチだけを燃やすので台の部分は要らないのです。この日は家の前を通らないということでわざわざ見に行きました。
台がなくてもやはりシャチは立派でした。
夜8時30分、米代川の河口近くでいかだに浮かべられたシャチに点火されました。
木と和紙で作られたシャチはアッという間に燃え尽き、市民そして夏にも別れを告げたようでした。燃えている間はこれまでと違い、哀調の囃子でシャチ灯籠を送りました。
8日は父だけ岩手山に行きました。僕は7日の疲れがすごかったのでやめました。
9日は父母と車で男鹿水族館GAOへ行きました。
男鹿水族館は名前の通り男鹿半島にあります。男鹿半島と言えばゴジラ岩などが有名です。写真を載せておきます。
水族館には魚がたくさんいました。印象に残ったのはホッキョクグマ、そして秋田の名物ハタハタでした。ハタハタは秋田名物の魚で秋田ではよく食べられています。ホッキョクグマも元気そうでした。そして、半島の一番先まで行きイクラ丼を食べました。その後北緯40度線と重なる線を見ました。地球の大きさを感じました。そして、家へ帰りました。コメリで祖母のための買い物をして、その後祖母も連れてITOKUへも行きました。
10日、楽しい1週間は瞬く間に過ぎ去り、帰る日がやってきました。自宅に帰ったのは朝9時頃秋田を出発して午後5時頃でした。僕は6日に買った大型シャチ灯籠のプラモデルを作りました。結構上手くできました。
楽しい1週間でした。
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実は上の画像は僕が撮影したものではありません。3日にお釜を見に行ったときは、天気があまり良くなかったため、お釜が雲で見えるか見えないかという感じでした。少し残念でした。お釜に行く前にコマクサを見ました。
僕にはこのとき思いました。「なんだか夏に高地へ来ると『ギー』という音がするな~。この音は虫かな、蝉かな?」 それで、僕は自宅へ戻ってから検索してみました。そうしたら、その音の主はエゾゼミだそうです。やはり蝉でした。エゾゼミは「蝦夷(北海道)」というくらいですから、高地のような寒いところに生息するそうです。鳴き声だけ文字で表されてもよく分からないと思うので動画を載せます。虫が苦手な方は見ないで下へ進んでください。
↑映像に出ている蝉がエゾゼミです。
話を戻します。
旅館の夕食はすき焼きでした。旅館ではこのエゾゼミの鳴き声のほかにヒグラシの鳴き声も聞こえました。ヒグラシも蝉です。明け方、夕方に鳴くため、漢字では「日暮」とも書くそうです。よく映画やドラマでも聞こえてきます。夏の終わりというのを感じます。この蝉の鳴き声の動画も参考までに載せて置きます。
↑映像に出ている蝉がヒグラシです。
本当に話を戻します。
旅館で泊まった後、秋田県へ日本海側を通って向かいました。途中、道の駅でメロンを買って行きました。そして秋田県の能代市のとある町の祖母の家へ向かいました。実はこの4日は、大型シャチ灯籠の祭りがありました。聞いてもよく分からないと思いますので、百聞は一見に如かずということで写真をどうぞ!
写真の一番左のシャチ灯籠の祭りが例年行われています。これはいつも6、7日に行われます。それは後ほど。この真ん中の背の高いシャチ灯籠は今年より始まったものです。皆様お気付きかも知れませんが、この道には電線がありません。これは一番左のシャチ灯籠のいわゆる原点であり、今年、この背が高くて電線があるとぶつかってしまう明治時代頃の元祖大型シャチ灯籠を復元したことの証なのです。3、4日の2日間で行われましたが、僕は4日のみ見ました。高さは17mと随分高いのです。左の現代のシャチ灯籠と比べると2倍以上あります。この大型シャチ灯籠は「天空の不夜城」とも呼ばれています。このシャチ灯籠は市民を楽しませてくれました。来年もこれは行われる予定なので、期待したいと思います。
5日は何もありませんでした。確か、祖母を父が車に乗せて僕も一緒にお世話になった方にお礼の品を渡しに行ったような気がします。あまりイベントのない日でした。
6日はまず、4月に亡くなった祖父の納骨が行われました。お坊さんにお経を読んでもらった後、祖父は土に帰りました。
そして例年通り、能代役七夕が行われました。
夕方頃から祭り参加者はこのシャチ灯籠を引っ張って町を練り歩き、9時頃まで祭りは続きました。シャチ灯籠は練り歩く間、明るい囃子に包まれていました。夜になるとシャチ灯籠は一層綺麗さを増します。写真は解散直前の写真です。2台のシャチ灯籠が並び、とても美しかったです。今年は2回も家の前を通ってくれたので、よく堪能できました。
7日はまず、父と秋田駒ヶ岳に行きました。朝4時頃車で家を出て、2時間30分くらいで到着しました。駐車場からシャトルバスで8合目(標高1305m)まで行き、登り始めました。
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まず、男岳(標高1623m)へ登り、次に男女岳(標高1637m)、最後に横岳(標高1583m)に登って下山しました。女岳(標高1512m)という山もありましたが、登りませんでした。横岳に登る途中もコマクサが咲いていました。
↑男岳山頂
↑男女岳
↑横岳
↑男女岳登山道からの阿弥陀池(霞がひどかったです)
登山経路としては次の通りです。
↑青→緑→橙→赤→黄緑の順で歩きました
午後1時前にはもう下山し終わっていました。温泉に入って、その後田沢湖の畔へ行き、田沢湖を見ました。辰子姫(像)は見ませんでしたが、写真は載せておきます。
とても疲れましたがまあまあ楽しかったです。
夕方からは昨日の祭りの続きです。この日は台の部分はなく、シャチの部分のみで町を練り歩きます。理由は、夜8時30分からこのシャチ灯籠を燃やしてしまうからです。シャチだけを燃やすので台の部分は要らないのです。この日は家の前を通らないということでわざわざ見に行きました。
台がなくてもやはりシャチは立派でした。
夜8時30分、米代川の河口近くでいかだに浮かべられたシャチに点火されました。
木と和紙で作られたシャチはアッという間に燃え尽き、市民そして夏にも別れを告げたようでした。燃えている間はこれまでと違い、哀調の囃子でシャチ灯籠を送りました。
8日は父だけ岩手山に行きました。僕は7日の疲れがすごかったのでやめました。
9日は父母と車で男鹿水族館GAOへ行きました。
男鹿水族館は名前の通り男鹿半島にあります。男鹿半島と言えばゴジラ岩などが有名です。写真を載せておきます。
水族館には魚がたくさんいました。印象に残ったのはホッキョクグマ、そして秋田の名物ハタハタでした。ハタハタは秋田名物の魚で秋田ではよく食べられています。ホッキョクグマも元気そうでした。そして、半島の一番先まで行きイクラ丼を食べました。その後北緯40度線と重なる線を見ました。地球の大きさを感じました。そして、家へ帰りました。コメリで祖母のための買い物をして、その後祖母も連れてITOKUへも行きました。
10日、楽しい1週間は瞬く間に過ぎ去り、帰る日がやってきました。自宅に帰ったのは朝9時頃秋田を出発して午後5時頃でした。僕は6日に買った大型シャチ灯籠のプラモデルを作りました。結構上手くできました。
楽しい1週間でした。
I went skiing and enjoyed it! [行く]
僕は学校の行事で2013年2月5日~8日にかけての4日間、志賀高原の高天原スキー場へ行きました。随分と更新が遅れたことを誠にお詫び申し上げます。これまでの間も姉の結婚式や秋田県へ行ったことなどありましたが、時間がなく書けませんでした。まぁ、それは良いでしょう。朝7時40分くらいに学校に集合し観光バスで志賀高原へ行きました。
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↑地図で場所をご確認下さい
カメラは持って行きましたが、1枚しか撮りませんでしたので、ほぼネット上の画像を使わせて頂きます。ご了承下さい。宿泊するホテルに着いたらまずはお弁当(初日の昼食)を食べ、スキーウェアに着替えました。そうです。今回はスキー場に来たのでスキーをすることが目的なのです。初級・中級・上級とあり、僕はこれが初めてだったので初級でした。1~6組まである学年ですがホテルは1~4組、5・6組で違いました。この日のスキー場・ゲレンデの眺めは下の写真をご参照下さい。
そして、開講式でレベルごとに分かれた講習班の前にそれぞれのコーチが立ちました。僕は25班でコーチは女性の方でした。初日、つまり来た日はスキー板に慣れるだけでした。スキー板の履き方、転んだときの立ち方、斜面に対し横を向いて斜面を登っていく歩き方、滑ってきたときのブレーキのかけ方(「ハ」の字)などを習いました。これで1日目は終了でした。僕はその時ブレーキをかけるのを難しく感じました。
夕食はバイキングでした。この後の朝食、昼食はずっとバイキングでした。
2日目も1日目と同じような感じでした。
3日目にはツアーがあり、自分で昼食をとって帰るということでとても疲れました。昼食は味噌ラーメンを食べました。楽しかったです。
4日目にはすごいブリザードで午前中で切り上げ、帰りました。4日間とても楽しかったです。
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カメラは持って行きましたが、1枚しか撮りませんでしたので、ほぼネット上の画像を使わせて頂きます。ご了承下さい。宿泊するホテルに着いたらまずはお弁当(初日の昼食)を食べ、スキーウェアに着替えました。そうです。今回はスキー場に来たのでスキーをすることが目的なのです。初級・中級・上級とあり、僕はこれが初めてだったので初級でした。1~6組まである学年ですがホテルは1~4組、5・6組で違いました。この日のスキー場・ゲレンデの眺めは下の写真をご参照下さい。
そして、開講式でレベルごとに分かれた講習班の前にそれぞれのコーチが立ちました。僕は25班でコーチは女性の方でした。初日、つまり来た日はスキー板に慣れるだけでした。スキー板の履き方、転んだときの立ち方、斜面に対し横を向いて斜面を登っていく歩き方、滑ってきたときのブレーキのかけ方(「ハ」の字)などを習いました。これで1日目は終了でした。僕はその時ブレーキをかけるのを難しく感じました。
夕食はバイキングでした。この後の朝食、昼食はずっとバイキングでした。
2日目も1日目と同じような感じでした。
3日目にはツアーがあり、自分で昼食をとって帰るということでとても疲れました。昼食は味噌ラーメンを食べました。楽しかったです。
4日目にはすごいブリザードで午前中で切り上げ、帰りました。4日間とても楽しかったです。
東京都墨田区 I went to the TOKYO SKYTREE [行く]
僕はお母さんと東京スカイツリーへ行きました。池袋で昼食をとってから、行きました。池袋からの行き方は、山手線で上野駅に行き、上野駅から銀座線で浅草駅へ。浅草駅から東武スカイツリーラインでとうきょうスカイツリー駅です。すぐ近くです。近くで見ると大迫力でした。上まで見るのが大変なくらいです。
僕とお母さんはまず、すみだ水族館へ行きました。
意外と小さかったですが、ペンギンが沢山いて丁度餌やりをしていました。
この頃、バニラのソフトクリームを食べました。
その後、Solamachi(ソラマチ)にも行きました。そこでは、あるプラモデルを買って、家で作ってみました。
ちゃんとライトが付く仕組みです。
皆様、「展望台は?」と思うかもしれませんが、展望台へは行きませんでした。すごく混んでいたからです。また、遠くも曇っていましたし…。
ソラマチでの買い物が終わったので、帰ることにしました。またとうきょうスカイツリー駅から帰りました。家に着いたら、17時頃でしたでしょうか? 今日は初めての東京スカイツリーでとても楽しかったです。最後に遠くからの東京スカイツリーの画像を載せます。
僕とお母さんはまず、すみだ水族館へ行きました。
意外と小さかったですが、ペンギンが沢山いて丁度餌やりをしていました。
この頃、バニラのソフトクリームを食べました。
その後、Solamachi(ソラマチ)にも行きました。そこでは、あるプラモデルを買って、家で作ってみました。
ちゃんとライトが付く仕組みです。
皆様、「展望台は?」と思うかもしれませんが、展望台へは行きませんでした。すごく混んでいたからです。また、遠くも曇っていましたし…。
ソラマチでの買い物が終わったので、帰ることにしました。またとうきょうスカイツリー駅から帰りました。家に着いたら、17時頃でしたでしょうか? 今日は初めての東京スカイツリーでとても楽しかったです。最後に遠くからの東京スカイツリーの画像を載せます。
秋田県能代市へ To watch The Tanabata In Noshiro [行く]
僕とお父さんとお母さんは、一緒に2012年8月4日に秋田県能代市の祖父母の家へ車で行きました。ではありません…。僕の住んでいるところは埼玉県です。4日は秋田県の前に、高速道路で通る福島県にある五色沼へ行きました。磐梯山の近くです。朝は7時前後に家を出て、御昼時には福島へ着いたでしょうか? 結構な山道を通って五色沼へと行きました。
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↑地図(位置をご確認下さい)
↑瑠璃沼(Google画像より)
以前、小学生の時の林間学校の時にも訪れたことがあるので、普通でした。磐梯山が見えました。
↑磐梯山(奥)
この日は、郡山のかんぽの宿に泊まりました。磐梯熱海温泉がありました。夕食はステーキでした。美味しかったです。
次の日(5日)、いよいよ能代へ向けて出発です。この日は、能代市で「能代役七夕(ねぶながし)」という祭りがあるのです。14時くらいまでには車をその家の車庫へ入れなければなりません。理由は山車を引っ張って人々が歩くからです。因みに、祖父母はお母さんの両親です……。それは良いとして。なので急いで秋田へ向かいました。
そして長旅を経て、能代市の家へ着きました。行ったら、もう山車を引き始めていました。
夜になるとこのような画像になります。
今年は4台山車が出ます。今年の当番長(最も中心となる町)は上町です。町毎にシャチの山車を作って、それを引っ張って当番長を中心に町中を練り歩きます。田楽、太鼓、横笛、山車と列になって歩きます。それにしても、山車の絵は手書きです。上手いですね。夜はライトが灯ってさらに綺麗です。この祭りは5日と6日に行われ今日はその一日目です。一日目は町中を練り歩きますが、二日目はさらなるイベントも御座いますので、お見逃しなく。この祭りの名前をまだお伝えしていませんでしたでしょうか? 「能代役七夕(ねぶながし)」と言います。ここから、画像を沢山載せて行きたいと思います。因みに、今年は揃い踏みの場所が能代駅であることを知らなかったので、行っていません。解散時の揃い踏みは、しっかり見ました。
↑昼夜混ざっていますが、気にしないで下さい。
↑揃い踏み(解散時)の画像
5日(祭り一日目)はこれにて終了です。
6日(祭り二日目)。この日も、午後から山車を引っ張って行きます。午前はとばして午後に移りましょう。また、14時頃から山車を引き始めます。今日の山車は昨日と違います。
↑6日の山車
どこか違いますね。どこでしょうか? 正解は台座がないのです。先程の6日のイベントとは、米代川で山車(シャチのみ)を燃やすということなのです(これを「シャチ流し」という)。ちょっともったいない気持ちもありますが、そういうお祭りなので。因みに、袋がかぶさっているシャチがあります。それは雨が降った時のためです。シャチの紙は和紙です。骨組みに和紙を張り付けて、絵を描いているので、濡れてしまっては大変なのです。では、写真を載せて行きます。
↑これが今年の合計4台の山車(シャチのみ)です
シャチは17時くらいには米代川へ向かいます。地図で言うとここです。下の地図を御覧下さい。
↑黄緑色部分の辺りを練り歩き、水色部分からシャチ流しを見ます(なお、上の地図は画像なので、スライド出来ません)
僕はお父さんとお母さんと一緒に、シャチ流しを見に行きました。行ったら、もうシャチが川の上に浮かべられていました。20時に点火です。僕は、ババヘラアイスという秋田県だけのアイスクリームを食べました(因みに、書きませんでしたが、5日も食べましたよ)。愈々点火です。
点火されました。本当は4台並んでいます。
まだ1台点火されていなかったようです。
このように、神様を煙で天に送っているのでしょうか? 今年は風が強くて、火の粉が沢山飛んで来ました。火事にならないのかと思うかもしれませんが、水上ですし、下流の方なので、川幅が広くなっています。また、いざという時のために、消防車が待機しているのでご安心を! 普通はシャチの中の電気が電球なので、電気を消して、燃やすのですが、今年は電気が付いたまま、燃やしていたような気がしました。人が小舟に乗って、松明をシャチの乗る筏に触れさせて、点火させます。やっている人は、熱いでしょうね。石油でも筏に撒くのでしょうか? この瞬間だけ、御囃子のメロディーも変わります。筏はそのままで、海に流します。シャチは和紙と木なので燃えるのが早いです。点火するとすぐに燃えてしまいます。僕は全てのシャチが崩れた頃、祖父母の家へ帰りました。
暫くして21時過ぎ頃、外が騒がしいので、出てみると、家のすぐ近くの交差点で、シャチを燃やした後の祭り参加者が盛り上がっていました。僕は一人で家の前のベンチでそれを見ていました。町の人々も沢山外にいました。
数十分くらいやっていました。そして、それが終わると、誰かが喋って、解散式とか何とか言っていました。もうシャチがないのに、すごい盛り上がりようでした。最後は気合を入れよう、まだ祭りは終わっていないという意味なのでしょうか? その式が終わるとそれぞれの町へ帰って行きました。
↑御覧の通り、もうシャチはありません。
5日と6日の2日間、七夕で盛り上がり、楽しかったです。来年は、台は貼りついている和紙だけ剥がして、骨組みに新しい紙を貼って絵を描くんですよ。またシャチは一から作り直します! 来年も楽しみです。
さて、7日。僕はお父さんと一緒に青森県の八甲田山へ行きました。
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↓こんな等高線付きの地図もあったので載せます。
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この日は、朝早く、5~6時くらいでしょうか? 車で能代から二ツ井、大館、碇ヶ関を経て、黒石、そして、八甲田山の麓にある、酸ヶ湯温泉から、登山を開始しました。
↑酸ヶ湯温泉
雨が降っていたため、登山を断念しようとしたのに、お父さんが大丈夫と言って、無理矢理登りました。雨が降っていたので、酸ヶ湯温泉で温泉にだけつかって帰ろうという話だったのですが、一寸雨が止んだので、登りました…。なので、先に温泉につかって後から山に登ったということです。普通は逆ですよね。まあ、それは良いとします。登山道が、あまり整備されていませんでした。標高1584mの火山なので、途中までは高木が生えていますが、ほとんどは笹ばかりです。笹が登山道へとのり出し、道が塞がれている部分も多くありました。火山の山なので、硫黄のにおいがするところもありました。
このような場所では、特定の植物しか育つことが出来ず、非常に植物が少なくなっています。また、湿原なども多くあり、自然が豊かでした。が、先程悪天候と書きました。雲ばかりで、殆ど景色が見えません。残念です。歩行時間は4時間40分です。登り下りの合計時間です。
頂上に着いたのは、御昼時。持って行った御握りと、バナナを食べました。
下山は、頂上の近くの岩ばかりの急斜面が大変でした。でも後はなだらかな道、または急斜面でも階段が付いた道だったので楽でした。下りたところの湿原で、山の頂上が薄く見えました。
しかし、ここで雨が本降りに近くなって来たので、急いで、下山しました。最後の方が、一寸急斜面でした。でも見事、酸ヶ湯温泉へ帰って来ました。登り下りは別のコースを歩きました。下りたコースの方が道が良かったです。
ここで、八甲田山の参考画像を載せます。(画像=Wikipedia)
↑ 晴れた日の酸ヶ湯温泉付近からの頂上
↑冬の八甲田山はこんな感じです
この日は、14~15時くらいには、登山が一通り終了し、16~17時くらいには、能代の祖父母の家へ着きました。悪天候で残念だったけど、まあまあ楽しかったです。最後に登山経路の紙を載せます。参考にして下さい。
8日、この日は、家にいました。ぽんぽこ山とかいう名前のところへ行きました。展望台から日本海を一望しました。お墓参りをしたり、風の松原へ行ったりしました。あと、確か洋食レストランに洋食を食べにも行きました。僕はステーキを食べました。美味しかったです。
9日。今日は秋田に来て、2度目の登山。またお父さんに付き合わされました。今回は鳥海山です。
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↓またまた、等高線付きの地図も載せます。
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標高2236mの活火山です。こちらは秋田県と山形県の境目辺りにある山です。標高からすれば結構高いと思った方、正解です。登り下りで7時間30分かかります。山小屋もいくつかありますが、僕とお父さんは、日帰りで行きました。鉾立山荘というところから登りました。また朝早くに出たので、9時頃から登り始めたでしょうか? まずは、賽の河原というところを目指しました。僕は明け方頃、お腹が痛かったので大変でした。賽の河原に着く前も、何人かの下山者と擦れ違いました。僕はどのくらい早く登っているのかと思いましたが、多分、山小屋に泊まった方だと思います。それで、やっとの思いで、賽の河原へ着きました。1.9kmしかないのに、すごく時間が経ったような気がしました。次は御浜この辺りが中間地点といえるのではないでしょうか? 御浜へ行く前に、景色が良いところがありました。そして、御浜へ到着。ここには泊まれるそうです。そして次は、七五三掛です。読み方は「しめかけ」です。ここへ行くまでにも、景色が良いところがありました。
下に見える湖は、鳥海湖です。また、この日もあまり天候が良くなかったのですが、薄く頂上が見える場面がありました。
綺麗ですね。まあまあ歩いて、七五三掛へ到着しました。
上の写真の奥を見て頂くと分かるように、岩ですね。こんなところがいくつも続きます。そして、その先に分かれ道がありました。外輪コース(外側の山をつたって行くコース)と??コース(山を一度下ってまた登るコース)の分かれ道です。僕とお父さんは、??コースへ行きました。外輪コースは危険だそうです。ここから雪渓の上を歩いたり、2~3時間くらい歩いて、頂上の一歩手前に着きました。ここに荷物を置いて、新山を目指します。しかしそこは、完全に岩。登山道なんてありません。
どこに行けば良いか分かるように、矢印は書いてありますが、本当にそっちで良いのかと疑う谷のような地形を超えて、また一寸岩を登りました。
そして、20分程して、やっと山頂に到着しました。山は大きいのに、頂上は凄く小さかったです。
もう一人の方と3人で精一杯の広さです。この時既に13時頃。ゆっくりしていると下山に間に合わないので、直ぐに元来た道を折り返しました。しかし、帰りがまた結構大変でした。10~15分くらいで元の荷物を置いたところへ戻って来ました。そこで、御握りを食べて、下山に入りました。しかし、下山が結構大変でした。下山でも3時間程はかかります。なぜなら岩山が多く、スピード良く下りられないのです。それでも、七五三掛までは下りました。時間がなかったので、頑張りました。途中、曇って来ました。そして大粒の雨が降ってきました。僕は雨具を着て歩きました。すぐに雨はやみました。そして、御浜へ到着しました。そして、賽の河原を目指しました。数十分くらいで着きました。この時、非常に雲が多くなっていました。次は、登山口の鉾立山荘です。1.9kmもあります。2組の登山客を追い抜いて、進みました。すると、鉾立山荘が見えてきました。もう一寸です。来た道を急いで戻りました。そして、遂に下山終了です。それと同時に鳥海山登山を達成しました。山荘の売店で、お父さんに500mlジュースを買って貰いました。冷たくて美味しく感じました。16時くらいでしたでしょうか? 意外と速い下山でした。そして、車でくねくねした山道を下りて、帰りました。途中、夕日が見えました。といっても、沈むところではありません。
日本海に映った夕日です。綺麗ですね! その時に、お父さんが車の写真も撮ったので、載せます。
↑行った車
今日は達成感がありました。まあまあ楽しかったです。最後に、晴れた日の鳥海山の写真と登山ルートを載せます。
まあ、良い思い出です。
10日、この日は秋田にいる最後の日。でも、特に何もしませんでした。
11日、この日は朝8時頃帰りました。日本海東北道を使い、東北道を使い、帰りました。家に着いたら、18時頃でした。楽しい一週間でした。
(未完成記事です。長い記事なので今週中には完成させます。)
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↑地図(位置をご確認下さい)
↑瑠璃沼(Google画像より)
以前、小学生の時の林間学校の時にも訪れたことがあるので、普通でした。磐梯山が見えました。
↑磐梯山(奥)
この日は、郡山のかんぽの宿に泊まりました。磐梯熱海温泉がありました。夕食はステーキでした。美味しかったです。
次の日(5日)、いよいよ能代へ向けて出発です。この日は、能代市で「能代役七夕(ねぶながし)」という祭りがあるのです。14時くらいまでには車をその家の車庫へ入れなければなりません。理由は山車を引っ張って人々が歩くからです。因みに、祖父母はお母さんの両親です……。それは良いとして。なので急いで秋田へ向かいました。
そして長旅を経て、能代市の家へ着きました。行ったら、もう山車を引き始めていました。
夜になるとこのような画像になります。
今年は4台山車が出ます。今年の当番長(最も中心となる町)は上町です。町毎にシャチの山車を作って、それを引っ張って当番長を中心に町中を練り歩きます。田楽、太鼓、横笛、山車と列になって歩きます。それにしても、山車の絵は手書きです。上手いですね。夜はライトが灯ってさらに綺麗です。この祭りは5日と6日に行われ今日はその一日目です。一日目は町中を練り歩きますが、二日目はさらなるイベントも御座いますので、お見逃しなく。この祭りの名前をまだお伝えしていませんでしたでしょうか? 「能代役七夕(ねぶながし)」と言います。ここから、画像を沢山載せて行きたいと思います。因みに、今年は揃い踏みの場所が能代駅であることを知らなかったので、行っていません。解散時の揃い踏みは、しっかり見ました。
↑昼夜混ざっていますが、気にしないで下さい。
↑揃い踏み(解散時)の画像
5日(祭り一日目)はこれにて終了です。
6日(祭り二日目)。この日も、午後から山車を引っ張って行きます。午前はとばして午後に移りましょう。また、14時頃から山車を引き始めます。今日の山車は昨日と違います。
↑6日の山車
どこか違いますね。どこでしょうか? 正解は台座がないのです。先程の6日のイベントとは、米代川で山車(シャチのみ)を燃やすということなのです(これを「シャチ流し」という)。ちょっともったいない気持ちもありますが、そういうお祭りなので。因みに、袋がかぶさっているシャチがあります。それは雨が降った時のためです。シャチの紙は和紙です。骨組みに和紙を張り付けて、絵を描いているので、濡れてしまっては大変なのです。では、写真を載せて行きます。
↑これが今年の合計4台の山車(シャチのみ)です
シャチは17時くらいには米代川へ向かいます。地図で言うとここです。下の地図を御覧下さい。
↑黄緑色部分の辺りを練り歩き、水色部分からシャチ流しを見ます(なお、上の地図は画像なので、スライド出来ません)
僕はお父さんとお母さんと一緒に、シャチ流しを見に行きました。行ったら、もうシャチが川の上に浮かべられていました。20時に点火です。僕は、ババヘラアイスという秋田県だけのアイスクリームを食べました(因みに、書きませんでしたが、5日も食べましたよ)。愈々点火です。
点火されました。本当は4台並んでいます。
まだ1台点火されていなかったようです。
このように、神様を煙で天に送っているのでしょうか? 今年は風が強くて、火の粉が沢山飛んで来ました。火事にならないのかと思うかもしれませんが、水上ですし、下流の方なので、川幅が広くなっています。また、いざという時のために、消防車が待機しているのでご安心を! 普通はシャチの中の電気が電球なので、電気を消して、燃やすのですが、今年は電気が付いたまま、燃やしていたような気がしました。人が小舟に乗って、松明をシャチの乗る筏に触れさせて、点火させます。やっている人は、熱いでしょうね。石油でも筏に撒くのでしょうか? この瞬間だけ、御囃子のメロディーも変わります。筏はそのままで、海に流します。シャチは和紙と木なので燃えるのが早いです。点火するとすぐに燃えてしまいます。僕は全てのシャチが崩れた頃、祖父母の家へ帰りました。
暫くして21時過ぎ頃、外が騒がしいので、出てみると、家のすぐ近くの交差点で、シャチを燃やした後の祭り参加者が盛り上がっていました。僕は一人で家の前のベンチでそれを見ていました。町の人々も沢山外にいました。
数十分くらいやっていました。そして、それが終わると、誰かが喋って、解散式とか何とか言っていました。もうシャチがないのに、すごい盛り上がりようでした。最後は気合を入れよう、まだ祭りは終わっていないという意味なのでしょうか? その式が終わるとそれぞれの町へ帰って行きました。
↑御覧の通り、もうシャチはありません。
5日と6日の2日間、七夕で盛り上がり、楽しかったです。来年は、台は貼りついている和紙だけ剥がして、骨組みに新しい紙を貼って絵を描くんですよ。またシャチは一から作り直します! 来年も楽しみです。
さて、7日。僕はお父さんと一緒に青森県の八甲田山へ行きました。
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↓こんな等高線付きの地図もあったので載せます。
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この日は、朝早く、5~6時くらいでしょうか? 車で能代から二ツ井、大館、碇ヶ関を経て、黒石、そして、八甲田山の麓にある、酸ヶ湯温泉から、登山を開始しました。
↑酸ヶ湯温泉
雨が降っていたため、登山を断念しようとしたのに、お父さんが大丈夫と言って、無理矢理登りました。雨が降っていたので、酸ヶ湯温泉で温泉にだけつかって帰ろうという話だったのですが、一寸雨が止んだので、登りました…。なので、先に温泉につかって後から山に登ったということです。普通は逆ですよね。まあ、それは良いとします。登山道が、あまり整備されていませんでした。標高1584mの火山なので、途中までは高木が生えていますが、ほとんどは笹ばかりです。笹が登山道へとのり出し、道が塞がれている部分も多くありました。火山の山なので、硫黄のにおいがするところもありました。
このような場所では、特定の植物しか育つことが出来ず、非常に植物が少なくなっています。また、湿原なども多くあり、自然が豊かでした。が、先程悪天候と書きました。雲ばかりで、殆ど景色が見えません。残念です。歩行時間は4時間40分です。登り下りの合計時間です。
頂上に着いたのは、御昼時。持って行った御握りと、バナナを食べました。
下山は、頂上の近くの岩ばかりの急斜面が大変でした。でも後はなだらかな道、または急斜面でも階段が付いた道だったので楽でした。下りたところの湿原で、山の頂上が薄く見えました。
しかし、ここで雨が本降りに近くなって来たので、急いで、下山しました。最後の方が、一寸急斜面でした。でも見事、酸ヶ湯温泉へ帰って来ました。登り下りは別のコースを歩きました。下りたコースの方が道が良かったです。
ここで、八甲田山の参考画像を載せます。(画像=Wikipedia)
↑ 晴れた日の酸ヶ湯温泉付近からの頂上
↑冬の八甲田山はこんな感じです
この日は、14~15時くらいには、登山が一通り終了し、16~17時くらいには、能代の祖父母の家へ着きました。悪天候で残念だったけど、まあまあ楽しかったです。最後に登山経路の紙を載せます。参考にして下さい。
8日、この日は、家にいました。ぽんぽこ山とかいう名前のところへ行きました。展望台から日本海を一望しました。お墓参りをしたり、風の松原へ行ったりしました。あと、確か洋食レストランに洋食を食べにも行きました。僕はステーキを食べました。美味しかったです。
9日。今日は秋田に来て、2度目の登山。またお父さんに付き合わされました。今回は鳥海山です。
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↓またまた、等高線付きの地図も載せます。
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標高2236mの活火山です。こちらは秋田県と山形県の境目辺りにある山です。標高からすれば結構高いと思った方、正解です。登り下りで7時間30分かかります。山小屋もいくつかありますが、僕とお父さんは、日帰りで行きました。鉾立山荘というところから登りました。また朝早くに出たので、9時頃から登り始めたでしょうか? まずは、賽の河原というところを目指しました。僕は明け方頃、お腹が痛かったので大変でした。賽の河原に着く前も、何人かの下山者と擦れ違いました。僕はどのくらい早く登っているのかと思いましたが、多分、山小屋に泊まった方だと思います。それで、やっとの思いで、賽の河原へ着きました。1.9kmしかないのに、すごく時間が経ったような気がしました。次は御浜この辺りが中間地点といえるのではないでしょうか? 御浜へ行く前に、景色が良いところがありました。そして、御浜へ到着。ここには泊まれるそうです。そして次は、七五三掛です。読み方は「しめかけ」です。ここへ行くまでにも、景色が良いところがありました。
下に見える湖は、鳥海湖です。また、この日もあまり天候が良くなかったのですが、薄く頂上が見える場面がありました。
綺麗ですね。まあまあ歩いて、七五三掛へ到着しました。
上の写真の奥を見て頂くと分かるように、岩ですね。こんなところがいくつも続きます。そして、その先に分かれ道がありました。外輪コース(外側の山をつたって行くコース)と??コース(山を一度下ってまた登るコース)の分かれ道です。僕とお父さんは、??コースへ行きました。外輪コースは危険だそうです。ここから雪渓の上を歩いたり、2~3時間くらい歩いて、頂上の一歩手前に着きました。ここに荷物を置いて、新山を目指します。しかしそこは、完全に岩。登山道なんてありません。
どこに行けば良いか分かるように、矢印は書いてありますが、本当にそっちで良いのかと疑う谷のような地形を超えて、また一寸岩を登りました。
そして、20分程して、やっと山頂に到着しました。山は大きいのに、頂上は凄く小さかったです。
もう一人の方と3人で精一杯の広さです。この時既に13時頃。ゆっくりしていると下山に間に合わないので、直ぐに元来た道を折り返しました。しかし、帰りがまた結構大変でした。10~15分くらいで元の荷物を置いたところへ戻って来ました。そこで、御握りを食べて、下山に入りました。しかし、下山が結構大変でした。下山でも3時間程はかかります。なぜなら岩山が多く、スピード良く下りられないのです。それでも、七五三掛までは下りました。時間がなかったので、頑張りました。途中、曇って来ました。そして大粒の雨が降ってきました。僕は雨具を着て歩きました。すぐに雨はやみました。そして、御浜へ到着しました。そして、賽の河原を目指しました。数十分くらいで着きました。この時、非常に雲が多くなっていました。次は、登山口の鉾立山荘です。1.9kmもあります。2組の登山客を追い抜いて、進みました。すると、鉾立山荘が見えてきました。もう一寸です。来た道を急いで戻りました。そして、遂に下山終了です。それと同時に鳥海山登山を達成しました。山荘の売店で、お父さんに500mlジュースを買って貰いました。冷たくて美味しく感じました。16時くらいでしたでしょうか? 意外と速い下山でした。そして、車でくねくねした山道を下りて、帰りました。途中、夕日が見えました。といっても、沈むところではありません。
日本海に映った夕日です。綺麗ですね! その時に、お父さんが車の写真も撮ったので、載せます。
↑行った車
今日は達成感がありました。まあまあ楽しかったです。最後に、晴れた日の鳥海山の写真と登山ルートを載せます。
まあ、良い思い出です。
10日、この日は秋田にいる最後の日。でも、特に何もしませんでした。
11日、この日は朝8時頃帰りました。日本海東北道を使い、東北道を使い、帰りました。家に着いたら、18時頃でした。楽しい一週間でした。
(未完成記事です。長い記事なので今週中には完成させます。)
国立科学博物館へ [行く]
僕は、お母さんと2012年7月28日に国立科学博物館へ行きました。午前中に家を出て、昼食を池袋でとり、山手線で上野まで行きました。昼食はお寿司です! 博物館の場所は以下の地図です。
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地図=Google 写真=Wikipedia
特別展で、「元素のふしぎ」をやっていました。
この世の全てのものは、必ず元素から出来ています…といったようなことを教えてくれました。付属して、元素周期表を載せます。
(見え難い場合は、拡大して下さい)
Hが水素…という感じで最後まで書いてありました。大学生や社会人の理系らしき方々が多かったです。
次に常設展へ行きました。しかし、見るのが多くて結構疲れていました。
〓パンフレット
地球館と日本館があります。地球館は、動物、恐竜の化石、昔の人間、森の中、科学など幅広い歴史的な物が展示してあります。一方日本館は、日本の動物、恐竜の化石、昔のものなどが多く展示してあります。見たい方は是非行ってみて下さい。(ホームページはこちら)
そして、帰りにレストランでジュースを飲んで帰りました。
さて、なぜ博物館に行ったのかというと、夏休みの宿題があるからです。「ミュージアムレポート」というのがあります。博物館、つまりミュージアムに行って、興味、関心が湧くことについて調べて、レポートに纏める、といった内容です。僕は元素の何かしらについて書こうと思っています。でも、良い点は、そのレポートをパソコンで打ちこんで印刷しても良いということです。技術の時間に配られた宿題なのですが、先生に聞いたら、「良い」と言われました。なので、パソコンのWordで作ろうと思っています。まあまあ楽しみです。
まあ、今日の博物館見学は、面倒で疲れたけれど、楽しかったです。
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地図=Google 写真=Wikipedia
特別展で、「元素のふしぎ」をやっていました。
この世の全てのものは、必ず元素から出来ています…といったようなことを教えてくれました。付属して、元素周期表を載せます。
(見え難い場合は、拡大して下さい)
Hが水素…という感じで最後まで書いてありました。大学生や社会人の理系らしき方々が多かったです。
次に常設展へ行きました。しかし、見るのが多くて結構疲れていました。
〓パンフレット
地球館と日本館があります。地球館は、動物、恐竜の化石、昔の人間、森の中、科学など幅広い歴史的な物が展示してあります。一方日本館は、日本の動物、恐竜の化石、昔のものなどが多く展示してあります。見たい方は是非行ってみて下さい。(ホームページはこちら)
そして、帰りにレストランでジュースを飲んで帰りました。
さて、なぜ博物館に行ったのかというと、夏休みの宿題があるからです。「ミュージアムレポート」というのがあります。博物館、つまりミュージアムに行って、興味、関心が湧くことについて調べて、レポートに纏める、といった内容です。僕は元素の何かしらについて書こうと思っています。でも、良い点は、そのレポートをパソコンで打ちこんで印刷しても良いということです。技術の時間に配られた宿題なのですが、先生に聞いたら、「良い」と言われました。なので、パソコンのWordで作ろうと思っています。まあまあ楽しみです。
まあ、今日の博物館見学は、面倒で疲れたけれど、楽しかったです。